<< 容 赦 >>
 
容赦というのは、
ある程度の段階で赦すということだろう。
あるいは手加減をするということだろう。
その反対は「情容赦なく!!」ということだろう。
「容赦しねえぞ!!」ということだろう。
 
人と人との関係に於いて。
あるいは人と動物との関係に於いても。
<<もちろん愛犬との暮らしでも>>
この「容赦」の課題は、常に付いて廻る。
容赦できるかできないか???
そこが重大至極である。
そこが分かれ道である。
 
容赦の心を生む母体は、「余裕」である。
心に余裕が無ければ、容赦はできないのである。
その「余裕」とは、心の底力から生まれる。
心に底力があれば、余裕が生まれるのである。
心の底力が、余裕を生み、容赦を生むのである。
 
たとえば「喧嘩」にしても、そうである。
容赦心が無ければ、
いきなり鉄パイプであり、
いきなりナイフである。
あるいは集団リンチである。
それはすでに喧嘩ではなく「破壊」である。
相手への怖れから破壊に転じるか、
あるいは破壊を楽しむ暴力欲望か、
動機はいろいろだろうが、
いずれにせよ、容赦心は不在だろう。
本来なら「喧嘩」と「破壊」は、異質なもののはずである。
ところが近年では、全部が十把一絡げにされるようだ。
近年の教育者たちは、
この辺の領域に極めて鈍感のようである。
この辺に鈍感だと、
生徒たちを理解することなどできないだろう。
ただ「闘争は悪いことです!!」の一辺倒では、
生徒たちを導くことなどできないだろう。
そこに容赦心はあるのか???
それを洞察することは、
教育者の重大な役目だと思うのである。
 
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もちろん野性界にも、闘いはある。
だが絶対に、それは一様では無い。
さまざまな事情の闘いがある。
さまざまなレベルの闘いがある。
生死を賭ける場合もある。
だが、手加減する場合もある。
程度をわきまえた闘いもあるのだ。
そこには「容赦」が、存在するのである。
 
私は見事な容赦を見たことがある。
「狼」の容赦である。
22年前の話である。
ほとんどの人が、雄狼の底力を知らないと思うが、
健全に成長した雄狼の力は異次元である。
犬に似ているからと言っても、比較にならないのだ。
狼の一撃は、まるで「プレス機」のような大力なのだ。
それは野生世界で果てなく鍛錬された力なのである。
その雄狼が三歳に近づいた時、
兄貴だった大型北極犬と闘った。
それは群れに於ける宿命の闘いであった。
その北極犬の実力は尋常では無かった。
闘犬種とも異なる、比類なきパワーの持ち主だった。
体格も「シベリアン」の倍くらいの大型である。
しかし狼は、それよりもさらに二廻り近く大きかった。
勝負は一撃で決まった。
狼が北極犬の太い後首を深深と咬み込み、
その一撃で北極犬は微動すらできなくなった。
強力な大型犬をも圧倒する猛者の北極犬が、
雄狼の一撃で動けなくなったのである。
もちろん、私は即座に仲裁に入った。
だがその時は、北極犬の命が尽きるかに思えた。
それほどに狼の一撃の威力が凄まじく見えたのだ。
しかし狼は、私の渾身の指示に従ってくれた。
狼は、牙を離してくれたのである。
そしてその時に分かったことは、
狼が、手加減をしていたことである。
狼は明らかに手加減し、
そして牙を離してくれたのである。
北極犬は、一週間、動けなかった。
そのダメージは、「ギリギリ」の境界線であった。
狼はまさに、紙一重のラインで容赦してくれたのである。
もし狼の攻撃がそれよりも緩ければ、
不屈の北極犬が屈服するはずは無いので、
結局は死を迎える結末になったであろう。
その最悪の事態を、避けられたのである。
もう一度は、
ほとんど狼の狼犬の容赦である。
彼は血液的には狼だったので、狼と記す。
状況を話すと長くなるので省略するが、
その雄狼は、闘犬血脈の雄犬を容赦した。
その雄犬もまた、極めて強力な実力者だった。
両者の間に事情が発生し、
狼が頑丈な溶接鉄網を破壊し、
闘志に満ちた雄犬と闘いになった。
狼が、大きな雄犬を咬み持ち上げて、
狼舎に引き入れてしまったのだろう。
だが私が帰宅した時には、その闘いは終わっていた。
重大事態の気配を、着く前から感じていた。
車を降りる前から、異様な静寂を感じていた。
雄犬が犬舎の中におらず、
そして仕切りの溶接鉄網が大きく破壊されている。
それを見た瞬間に、雄犬の命の絶望を思った。
息を整え、意を決して、狼舎を見た。
すると、雄犬が、そこに座っていた。
「生きていたのか!!」という歓喜が湧き起こった。
だが雄犬は、石像のように、微動だにしない。
深く肩を落とし、一瞬たりとも微動だにしない。
狼が、ゆっくりと、彼の周りを、廻っている。
ゆっくりと周回する狼の無言の圧力が圧倒的である。
それは極めて難しい状況であった。
何事も無く雄犬を狼舎から救出することは難しい。
なにしろ尋常な局面では無いのである。
私は静かに狼舎に入り、
静かに大きな雄犬を肩まで抱え上げ、
そして静かに狼舎を出た。
狼は私を立て、私の意向に従ってくれたのである。
狼は雄犬を、つまり完全に容赦した。
もし本気なら、ただの一撃で、雄犬を殺せたのである。
狼は見事に自制し、見事に容赦したのである。
だが雄犬は、狼の途轍もない底力を知った。
その精神的衝撃は、凄まじかっただろう。
その胸中を想うと、実に不憫であった。
その頑丈な雄犬も、一週間、動けなかった。
この場合も、「紙一重」の手加減だったのだ。
ところで・・・その後にもちろん、
北極犬もこの雄犬も、完全に回復した。
その一件をものともせずに、元気満満に回復した。
そして精神的打撃の痕跡を、微塵も見せなかった。
だが彼らは、狼の手加減を知っている。
狼が容赦してくれたことを、知っているのである。
そして私も、野性の容赦を、この胸に刻んだ。
野性の無言の容赦は、凄まじくも見事であった。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:06:25::