**≪ 犬 の 躾 ??? ≫**
犬と暮らすに於いて、
確かに「躾:しつけ」も必要かと思う。
だがそもそも、いったい何が「躾」なのだろうか。
人によって、躾の概念が全然違うのである。
人によって、「求める躾」が全く違うのである。
だからそもそも「犬の躾」を謳うこと自体が困難である。
そもそも、「何のために犬と暮らすのか?」
そもそも、「その人にとって犬とはどんな存在か?」
そもそも、「犬とどのような関係で暮らしたいのか?」
まずそこを考えてみる必要があると思う。
まさか人人は、
操り人形のように操ることを「躾」だと考えるのか?
操り人形のように操れることを「躾」と呼ぶのだろうか?
どんな状況に於いても、
それが完全に遂行されることを「躾」だと思うのか?
それが「社会化???」だと定義するのだろうか?
どんな個性の犬に対しても、
その「躾の理論」が該当すると思い込んでいるのか?
どんな事情の犬に対しても、
その「躾の理論」を当てはめようとするのだろうか?
たとえば、人間の子供がいたとする。
幼稚園児とか。小学生とか。中学生とか。
彼らは人間だから、人語が解る。
人語が理解できるし、人語で会話できる。
その彼らを、どのように「躾」するのか?
それでどのような展開となるのか?
それでどのような成果が得られるのか?
どんな時でも、話を聞くのか?
どんな子も、即座に反応するのか?
どんな子でも、即座に指導に従うのか?
どんな時でも全員をリードできるのか?
どんな時でも全員を統率できるのか?
・・・・人語が解る人間の子供でも、
彼らを導いていくことは相当に大変だろう・・・・
そしてそもそも、
「人間に於ける躾の概念」とは何なのか?
人それぞれに様様な躾思想のはずである。
それでは犬の躾とは、いったい何なのか?
犬の躾に関する本やサイトが驚くほどに溢れているが。
それだけ飼主が躾に関して悩んでいるということだろうが。
私も過去記事にいろいろと書いてきたが。
・・・・私はこう思っている・・・・
「躾」に囚われて「躾理論」に縛られると、
結局は問題の解決にはならない。
「・・犬をどうするか・・」ではなくて、
「・・自分をどうするか・・」が先決問題なのである。
自分が変われば、犬も変わるのである。
導きに於いての自分が進化すれば、
おのずと犬は変わっていくのである。
導きに於いての自分が深化すれば、
犬との対話も深化していくのである。
犬は感覚世界で生きている。
言語で思考するのではなく感性で思考する。
だから飼主もその感覚を高めることが重大である。
それ無しには、犬を理解することはできない。
犬を理解できなければ、導くことなどできない。
それぞれの犬に、それぞれの事情がある。
その時その時で、それぞれに事情がある。
その事情を即座に深く洞察できるか。
その事情を知るか知らないかで別世界となる。
その事情を知らないで指導するのか?
その事情を知った上で指導するのか?
それによって犬の心境は別世界となる。
※※このほか、まだまだ色色とありますが、
長い文章になってしまうので、今日はこの辺で終わります。
過去記事にも色色と参考記事があるので御覧ください。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:06:07::