**≪ 野 性 犬 ≫**
いまなお、野性の強い犬種がいる。
ポーラーエスキモードッグとか、
ロシアンオフチャルカとか、
コーカサスマウンテンドッグとか、
チベタンマスティフとか。
彼ら野性犬には、強烈な矜持がある。
いざとなれば、
命を賭けて闘い抜くという覚悟がある。
普段はそれを見せなくとも、
普段はそれを己自身で抑えていても、
いざとなれば、そのスピリットが覚醒する。
それが彼らであり、彼らの真髄である。
もしそれを否定するならば、
それは彼らそのものを否定するということになる。
もし仮に彼らと暮らすのなら、
彼らのその部分をも理解しなければならない。
そうでなければ、共に暮らす意味は全く無いのである。
海外でチベタンマスティフが、
ステータスシンボルとしての「高額ペット」として、
富裕層へと盛んに販売されているらしい。
元はと言えばどこかの誰かが、
「これは金になる!!」と思いついたのだろう。
なにしろ超高額だから、一攫千金を狙えるのである。
そして今や多くの人間が、それに追従しているだろう。
実際すでに、活発に繁殖されているようである。
チベタンマスティフが「ペット」とは・・・・
しかも原産地とは全く異なる気候の地域で・・・・
あまりにも、心配の要素が大き過ぎる・・・・
チベタンマスティフの本領は、防衛である。
チベットの大自然の中で、
家畜を猛獣から護ったり、
異民族から村民を護ったり、
つまり彼らは防衛者だったのである。
そして彼らは長久の年月に亘り、
その重責を見事に果たしたのである。
彼らは、異民族の匂いと気配を鋭く感知する。
村民と侵入者とを、実に鋭く判別したという。
そして文字通りの命懸けで村を護ったという。
T:マスティフは、つまり正真正銘の「闘士」なのである。
彼らには、はるか古代の最大型の原始野生犬である、
「イノストランツェビィ」の血が流れている。
大昔の彼らは、今の彼らよりもさらに大型だったようだが、
その巨体と重厚な骨格と野性のスピリットは、
まさしく「イノストランツェビィ」から受け継いだのであろう。
野性犬の誇りと矜持が、彼らを支えてきたのである。
野性犬のパワーと感覚が、彼らを助けてきたのである。
それ無しには、彼らは生き抜いてはこれなかっただろう。
何十年前に、古いタイプのT:マスティフの写真を見た。
荒荒しい被毛。野性的な毛色。豪胆な面構え。
一目で、尋常ならざる野性の闘士だと感じた。
※その本にはオフチャルカの写真もあったが、
やや短毛気味の灰褐色のその犬は、極大型だった。
全身に微塵も無駄が無く、実に重厚で美しかった。
今もあんな素晴らしいオフチャルカが残っているだろうか。
だがその「宝」のような野性を、
いったい何人の人が理解してくれるだろうか。
それとも、その巨体と風格だけを求め、
中身の野性を邪魔者扱いしているだろうか。
それを邪魔で不要と判断し、
消し去ることに躍起になっているだろうか。
そして「誰にでも飼えますよ!」と宣伝しているのだろうか。
そして彼らの真髄を理解できない人間に売られるのだろうか。
そこでもしT:マスティフの本領が僅かでも出現すれば、
その犬は「矯正???訓練???」を施されるのだろうか。
もしそこでT:マスティフがその訓練???を拒めば、
その犬は「処分」される運命となるのだろうか。
野性は、納得できないことに対しては頑固である。
それを理不尽だと判断すれば、とことん頑固である。
その野性の本質を知らずに矯正???を強制すれば、
いずれ大きな悲劇が訪れることになるだろう。
人は、なんでわざわざ、
野性の強い犬を「ペット」にしたがるのだろうか。
そこに「無理」があることに、なんで気付かないのだろうか。
もしかして「淘汰」すればいいと考えているのだろうか。
不都合な気性の個体は、どんどん淘汰するつもりだろうか。
容赦なく選別して、容赦なく淘汰していくのだろうか。
そうすれば人間に都合の良い犬種に変身するというのか。
そうだとすれば、あまりにも悲しい話である。
そうだとすれば、あまりにも傲慢な発想である。
※かといって、「護衛番犬」に専従させる発想も困る。
多くの場合に護衛番犬は、悲しい生涯となる。
多くの場合に彼らは、「護衛のマシン」と見なされるからだ。
彼らは感性の塊りであるのに、
海より深い情緒の持ち主なのに、
一生を「護衛マシン」として暮らすのである。
それもまた、実に悲しい話である。
人間社会は、犬に「社会化」を強要する。
人間至上主義の視座での社会化である。
そして社会化されない犬は、冷酷に排除される。
「野性」など、社会は微塵も求めていないのである。
これが現代社会の現実である。
この現実を鑑みれば、T:マスティフの運命が想像できる。
なんでわざわざ・・・・
なんでわざわざ、T:マスティフを売り込むのか・・・・
人間の強欲な金儲けのために、
なんでT:マスティフの運命が弄ばれるのか・・・・
いや、T:マスティフだけの話ではない。
世界には百種二百種の犬種がいるが、
多くは過酷極まる「淘汰」の歴史を背負っているのである。
これまで淘汰された犬の数は、天文学的な数字だろう。
そしてまた多くの犬種に、疾患が潜んでいるようだ。
それは、ごくごく当然の話だと思う。
不都合な部分だけを淘汰しようと企てても、
知らぬ間に重大な部分も削ってしまうからである。
知らぬ間に生命として必要な部分も削ってしまうのである。
なにしろ人間の思考の範疇で命を繁殖するのである。
しかもそれは「人間の嗜好:人間の都合」の視座である。
そんな不純な動機が、「命」に通用するはずがない。
やがて必ず支障が起こることは、最初から明らかである。
人間は大自然の深秘の前で、深く反省すべきだと思う。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:05:18::