**≪犬との対話≫**
 
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 もう、人生の大半が、
野性対話道の年月となった。
もう、人と話した時間よりも圧倒的に、
犬たちと話した時間の方が長い。
犬たちとの対話の世界が、私の日常世界である。
彼らとの対話は、言語に表現することは難しい。
なぜなら、言語で交感する訳ではないからだ。
一瞬一瞬に感性が交感し、
その交感の流れが連綿と続くのである。
その一瞬一瞬に、いちいち言語に変換する暇は無い。
いちいち言語に変換していたら、対話などできないのだ。
もちろん、犬たちには多くの言葉を掛けるが、
それは言語として使っている訳ではない。
言語としては使っていないのだが、
犬たちはニュアンスを理解するのである。
もし対話を言語で表現するなら、
その場面を振り返っての総括表現となる。
つまり、あとから言語を「当てはめる」ことになる
深く集中して振り返り、慎重に言葉を探すのである。
犬たちは言語では対話しないから、
言語とは別の手段で対話するから、
だから言語での表現は極めて至難である。
もし安易に表現すれば、誤解が生じる。
人人に誤解が生じれば、
犬たちにとって、非常に不本意な事態となる。
だから言語での表現は非常に要注意なのである。
そこに「人間の観念」が混じっていないか???
そこに交感者の主観が混じっていないか???
その表現は、果たして的確なのか???
そういったことが、実に重大なのである。
 
犬たちにも「言葉」はある。
言葉はあるが、それは言語表現とは異なる。
彼らの言葉は、まさしく言霊である。
声という音にはならないが、言葉である。
その声無き言霊を、感応する。
それが「犬との対話」である。
 
この地球上で、
人間は人間言語で会話する。
だが地球の生命は人間だけではない。
ほかの生命たちは種の違いを超えて、
言語会話以外の手段で対話する。
だから本当は人間も、
言語会話以外の対話も知るべきと思う。
もっとも身近な動物の「犬」は、
その対話の方法を教えてくれる。
彼らに聞けば、いつでも教えてくれる。
もちろん、犬だけではない。
猫も、ウサギも、馬も、牛も、豚も、
みんなが教えてくれるのである。
 
写真の森が、
私と犬たちの対話の道場である。
酷寒の銀世界が終われば、
私はほとんどここで眠る。
ここは静寂に包まれているが、
声無き言霊に満ちている。
森の命たちの、森の精霊たちの、
声無き言霊を聴きながら、
犬たちと一緒に眠る。
 
森には、音の無い音楽が流れている。
いろんなメロディーが聴こえてくる。
しかし時には、実際に音が伴う場合もある。
それは実に、神秘そのものの音である。
ところで今日は、「MINMI」の歌を紹介する。
こんなようなメロディーが流れる日もある。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:05:15::