**≪生命の神秘≫**
 
世界中でずっと、生命は研究されてきた。
ひたすら科学的手法で分析されてきた。
だが未だに、謎だらけのようである。
未だに、未知の領域のようである。
 
<あれがこうで、それがこうしてこうなった>
<これをこうするとこうなっていく>
というような研究は相当に進んだらしい。
だが研究が進めば進むほど、
果てしない絶妙さが明らかになっていく。
いったい、なんでそんなに絶妙なのか??
いったい、誰がそれを設計したのか??
その途方も無く絶妙な仕組みを!!
そして「進化」と言うが、
進化の羅針盤は誰が与えたのか??
個の仕組みだけでも、想像を絶する絶妙さである。
そして無数の個が互いに相関して全体が成立する。
しかもそれぞれの個が同時に全体と相関している。
無数の個が無限に相関し、
しかも無限に全体と相関し、
際限なくバランスされていく。
無数の個が無限に変化し、
全体も無限に変化し、
それでありながらバランスが成されていく。
これはもう、想像を絶した無限バランス世界である。
いったい誰が、こんなバランスを思考できるだろうか。
最初から「発想」すらできない次元だと思うのだが。
全く白紙の状態から、誰が発想できるというのだろう。
すでに実際に存在する生命を、分析することはできるだろう。
その元の生命を基に、小細工することはできるだろう。
だがそれは、全く白紙の状態から発想することにはならない。
そもそも母なる地球自体が、大宇宙と相関している。
地球と宇宙の関係も無限連鎖の次元であり、
地球の生命と地球の関係も無限連鎖の次元である。
無限と無限が無限に相関しているのである。
これはもう、思考の範疇を最初から超えている。
 
ところで、なんで「生命」が存在するのだろう。
生命が存在しなければ、何か支障があるのだろうか。
この世の全てが必然であるとするなら、
生命の存在の理由は何なのだろうか。
いったい誰が、生命の存在を求めたのだろうか。
そもそも「意志」の領域は、全く未知のままである。
そこに意志が不在ならば、生命誕生は不可能となる。
意志とは、何なのか??
意志の概念は、まことに難しい。
しかし意志が無ければ、「スタート」が不可能なのである。
たとえばコンピュータは凄い性能である。
だがデータを入力するのは人間である。
そしてプログラムを最初に起動させるのも人間である。
コンピュータが能力を発揮するのは、そこからである。
全くの白紙の状態から自ら発想し、
全くの白紙の状態から自らスタートすることは、
コンピュータにはできないのである。
そこに人間の「意志」が介在するから、
能力発揮を開始できるのである。
そもそも生命に「意志」が存在することが神秘である。
これを神秘と呼ばずに何と呼べばいいのか。
この世は実に神秘だらけである。
 
たとえば<<心>>。。
自分の心を理屈で説明できる人はいるだろうか。
たとえば感情を理屈で説明できる人はいるだろうか。
仮に理屈があるとして、その理屈を知ったとしても、
その理屈通りに自分の感情を制御できるだろうか。
「湧き上がる想い」を理屈で滅却できるだろうか。
「想い」を抑えることはできたとしても、
そもそも「抑える」ということは、
「湧き上がってくる」ということなのである。
「湧き上がる想い」は、理屈を超えているのである。
たとえば「恋愛」を考えてみれば、よく分かるはずである。
理屈でどうこうならないのが恋愛である。
どうにもならない「未練」を秘めている人も多いはずである。
<<心>>とは、まったく神秘である。
 
仏典には、いみじくも、
<< つまり、仏にしか分からない >>
というようなことが説かれているが、
まったくそれに同感である。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:05:09::