<<仏界の豚>>
 
**南無華厳大悲界**
 
東北震災に於ける、
養豚場の柵の中の豚たち。
餓死した豚がほとんどだろう。
過日、そのような写真の一枚を見た。
あまりにも悲しい。
言葉が出ないが、言葉にする。
この言葉に、全霊の祈りを込める。
 
死んだ豚たちは、寄り添っていた。
皆で寄り添って死んでいた。
もう立てなくなってから死ぬまでの間、
豚たちは、心と心で通じ合っていた。
彼らは一心同体で、横たわっていた。
 
「共食いも無く・・」と書かれていた。
弱い固体から食べられても、
何ら不思議では無いのに。
人間にも共食いの歴史があるのだ。
それはかなり普通にあったらしいのだ。
それどころか、国によっては、
「嗜好食料」として人肉が食われたという。
それを考えれば、共食いは驚くことではない。
だがこの豚たちは、それを選ばなかった。
 
それは、とても静かな写真であった。
あまりにも悲しいのに、
あまりにも静かな光景であった。
私はそこに仏界を見た。
そこに横たわっているのは、仏たちである。
極限状態にありながら、
自らの私欲を超越し、
互いに他者を犠牲にすることなく、
潔く静かな死を選んだ豚が、
仏でなくてなんだろう。
潔く静かな死を選ぶことが、どれほど至難か。
それを選ぶことの至難を、知る人はいるのか。
 
別の養豚場で。
そこでまだ生きている豚を、
死んだ仲間たちから引き離そうとしたという。
そうしたら、何度引き離しても、
死んだ仲間たちの元に戻ってしまったという。
もう、その豚の心は決まっていたのだ。
その豚の心には、固く誓いが立てられていたのだ。
<<<仲間たちと共に、静かに死ぬ>>>
もはや彼らの心は、「ひとつ」になっていたのである。
彼らは一心同体で「禅」の中に入っていったのである。
 
辛い運命。
豚たちは皆、辛い運命で生きている。
生まれた時から、その運命が決まっている。
そして彼らは、互いにその運命であることを知っている。
辛い毎日を、彼らは励まし合って生きてきたのだ。
互いに、祈り合って生きてきたのだ。
言葉を失う凄絶なドラマである。
それは人間が想像できない世界である。
 
豚は大抵の場合、莫迦にされ、軽蔑される。
人間に、生涯の全てと命を捧げているというのに。
彼らの「死」を見て、人間は何を感じるだろうか。
禅境地で死んだ彼らのように、人間は死ねるだろうか。
死の時こそ、本性が問われるだろう。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:30::