**≪ 慈 悲 ≫**
慈悲を知るために生まれてきた。
慈悲に一歩でも近づくために生まれてきた。
たとえどんな状況でも、
たとえどんな苦難の中でも、
慈悲を目指し続けることができるか。
それが今生の試練である。
それが今生の使命である。
生まれた意味は、ただそれだけである。
大宇宙に「法」がある。
それは人間社会が作った法とは違う。
大宇宙の法は、「慈悲の法」である。
すべてが、慈悲に照らし合わされている。
すべての基準が、慈悲なのである。
大宇宙には正も悪も無い。
大宇宙には、正の概念も悪の概念も存在しない。
あるのはただ、慈悲か無慈悲か、それだけである。
実はそこには「調和」の概念も無い。
調和は、「結果」なのである。
慈悲の一瞬一瞬の結果が、
一瞬一瞬の調和を生み出しているのである。
慈悲に照らし合わされた一瞬一瞬が、
一瞬一瞬に世界を生み出すのである。
だから世界は、一瞬に変わる。
世界は、一瞬に変われるのである。
一瞬に変われるのに、
人間社会はそれに気づかない。
分かり易く言えば、
人人の心の状態が変われば、
その瞬間に世界は変わるのである。
「現実」は変わらないじゃないか!!
・・・と思われるかも知れないが、
実は、変わっているのである。
人人の心模様が変われば、すでにその時点で、
世界は新たな姿で新たな方向に動いているのである。
こんなに凄い「法」を、知らない人が多いようだ。
この法を、全世界の人人が知るべきだと思う。
だがこの法は、あまりにシンプルだが、途轍もなく難しい。
あまりにシンプルだから莫迦にされ、
途轍もなく難しいから無視される。
しかし、すべての命は、この法で生まれた。
この法で生まれ、この法で生かされる。
この法を否定すれば、自分を否定することになる。
ところで「慈悲」とは、
同族だけに向けられるものではない。
同族だけに向けられるものは慈悲とは呼ばない。
人間が人間だけを想うことを、慈悲とは呼ばないのである。
この辺を分からない人が多いようである。
分からないというか、実感できないようである。
だから「慈悲」の理解は難しいのである。
「想う」だけで、すべてが変わる。
想いこそが、すべての出発である。
想いが、慈悲の赤ちゃんなのである。
人間が人間以外の命を想えば、
世界は信じられないほどに変わる。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:28::