**≪動物の立場≫**
 
「YAHOO知恵袋」で、
動物に対する世間の感覚が表現されていた。
もちろんこれだけで判断はできないが、
参考にはなると思う。
なお、回答は多数なので、
できるだけ多くを読んだ方がいいと思われる。
 
 
 この回答集をみれば、
今の日本の世間の感覚の一端が分かる。
世間のいろんなことが「なるほど」と頷ける。
いろんなことの辻褄が合う。
今回は「ペット」に関する問答だったが、
これが家畜でも野生動物でも、
およそ似たような感覚の表現になると思う。
因みにもし自分が被災飼主だったら、
避難所には行かないだろう。
他に生き抜く方法を何とか見つけたい。
もし犬と自分の食糧があるのなら、
山で犬と野営するだろう。
 
これを見れば、
日本の人里で犬を飼うことは至難に思える。
飼主が如何に配慮しても、厳しい視線が注がれるだろう。
実際、「フン」の始末どころの騒ぎでは無いらしい。
迂闊に排尿などさせられない状況を迎えているらしい。
僅かな被毛も、僅かな体臭も、僅かな吠え声も、
許されなくなってきているようである。
そのうち、「存在」すらも許されなくなるのだろうか。
愛護家の方方は、
「行政の放棄ペット殺処分」に抗議するが、
実際には、世間が処分を望んでいる結果ではないのか。
この回答集を見ると、そのように思えてくる。
 
私は長い年月に亘り山に居るので、
浦島太郎になったような気分である。
まさかここまで日本が変わったとは。
すべてが、自分の想像以上である。
昔はそれでも、
もう少し大らかさが残っていたような気がするのだ。
これほど神経質では無かったような気がするのだ。
第一、「アレルギー」というものも、
こんなに顕著では無かったような気がするのだ。
日本人の体質が変わってしまったのだろうか??
どうにも不思議な事態である。
 
私はテレビを持っていないが、
年に数回、知人宅でテレビを観る機会があるが、
テレビを観ると、とても驚く。
何と「CM」の多いことか。
そして「衛生:除菌:消臭:殺虫」などのCMが目立った。
まるで「無菌状態」を目指しているように見えた。
目に入る如何なる虫も撲滅する意気込みに見えた。
あるいは、匂いが「悪」であるかのような宣伝に驚いた。
そこまで「匂い」を排斥する風潮とは恐れ入る。
「匂い」とは、重大な個性であるというのに。
その者の匂いを嫌うということは、
その者の個性を認めないということなのに。
おそらく、この「企業戦略」というのは、
人人の想像以上に人人に浸透している。
人人に浸透し世間に浸透し社会に浸透している。
私は普段テレビを観ていないから、それを強く感知する。
 
それにしてもこれでは、
大自然を理解することなど、できないと感じる。
そこに棲む命たちを理解することなど、できないと感じる。
そして野性動物の心境など眼中に無いだろう。
そして家畜たちの心境など眼中に無いだろう。
そして人間社会に於けるペットの心境も、眼中に無いだろう。
要するに動物たちは理解されずに生きることになる。
それは「生きる!!」では無く、支配下生存だろう。
唯一許される形態は、徹底した管理下の生存であろう。
たとえば「ペットの社会化」と言うが、
ペットに対する「社会化」の要求基準は、
これからどんどん「エスカレート」していくだろう。
そうなればもはや、
ペットを飼うことの意義があるのだろうか。
たとえば犬は「犬という独特の命」だが、
その「独特」という尊厳は、さらに無視されていくだろう。
世間の意識は想像以上に、
「人間こそが支配者」という感覚のようである。
 
いったいこのスタンスで、
果たして「共生」など実現するのだろうか。
とても無理に思えるのだが。
それはスローガンのままで終わると思うのだが。
だったら共生など、口にしなければいいと思うのだが。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:19::