**≪ 蒼 夜 山 ≫**
蒼い夜の山を歩く。
随分と暖かくなったが、
深夜になれば、相当に気温が下がる。
零度近くまで下がっただろうか。
まだ雪が残っている場所もある。
蒼い山に白い残雪が浮かび上がる。
なぜ深夜の山を歩くのかと言えば、
山と交感するためである。
山の命たちと交感するためである。
夜の山は、日中とは別世界となる。
夜独特の交感が生まれるのである。
厳しい冬が終わり、
新たな躍動の気配を感じる。
まだ木木の緑は無いが、
何かが動き始めた気配を感じるのだ。
熊たちも、すでに起きているだろう。
冬眠から起きて、いったい何を食うのか。
それらしき食べ物は見当たらないが。
何か食える物はあるのだろうか。
山に食糧の豊かなることを、一心に祈る。
フクロウが、付いて来ている。
最初、遠くで声がした。
だんだん、近付いてきた。
そして間近の樹上で歌っている。
私が進むと、また付いて来る。
一緒に散歩をしているのだ。
少し離れた場所に、
軽量級の動物の歩く気配がする。
多分、キツネだと思う。
その動物も、一定の距離を保って付いて来る。
夜の山だと、そういった気配が、ありありと伝わるのだ。
イノシシたちの気配は無かった。
今夜はおそらく、巣にいるのだろう。
この間まで雪上に足跡があったから、
元気でいるはずである。
みんなの元気を、ただただ祈る。
もちろん、犬たちと歩く夜もあるのだが、
この深夜山行の場合には、独りで歩く。
独りで歩いて、山の動物たちと交感する。
山行を終えて、犬たちの元に戻る。
キツネは、手前で帰っていった。
フクロウは、近くの樹上にいる。
犬舎の前の地面に坐り、野性禅に入る。
犬たちは起きているが、静かに私を見つめている。
瞑目すれば、心の眼前に、
まさしく映像のように、
いろんな動物たちが現われる。
ありありと鮮明に実写のごとくに。
悲劇の動物が現われることも多い。
どのような痛みの中にいるか。
どのような苦しみの中にいるか。
どのような孤独の中にいるか。
どのような恐怖の中にいるか。
どのような絶望の中にいるか。
それらが、ありありと伝わってくる。
それらが強烈に胸に突き刺さる。
耐えられないほどである。
悲しみに耐えられないほどである。
精神が壊れそうになるほどである。
それほどの衝撃で、彼らの苦しみを実感する。
ただただ一念に、心で読経する。
全身全霊で、渾身の祈りを捧げる。
どれほどの祈りを捧げても、
どれほどの冥加になるかは分からない。
だが祈るしかできないのだ。
だから渾身の力で祈る。
彼らの心に入る。
遠く離れた彼らの心に越境する。
同体になる。
一心同体になる。
彼らの心の中で読経する。
彼らの心の中に、無限の大悲を響かせる。
極限の孤独に沈む彼らに、極限の愛を響かせる。
壊れた身体の彼らを、
生き地獄の痛みと苦しみの彼らを、
もはやその渦中の彼らを、
たとえ一瞬でも地獄から抱え上げるために。
囚われの身の彼らの、その心の中に、
果て無き無限を届けるのだ。
唯一心の中だけに、「::無限::」を届けられるのだ。
ただ一念に大悲を祈る。
ただ一念に無限の大悲を捧げる。
やがて、だんだんと、彼らの顔が変わってくる。
彼らの顔が、少しずつ、穏やかになっていく。
辺りに、烈しく「ラップ音」が鳴り響く夜もある。
この無人の森のあちこちで、鳴り響くのだ。
いろんな光が舞う夜もある。
あちこちに、さまざまな光が現われるのである。
観音様のような、マリア様のような、
そのようなシルエットの光が現前に立つ夜もある。
菩薩に祈る。佛に祈る。大悲界に祈る。
命が懸かっているのだ。
命の苦しみが懸かっているのだ。
途轍もない命の悲劇が懸かっているのだ。
この世の見えない無限の愛に祈るしかないのだ。
この世には、無限の愛が、確かに潜んでいるのだ。
もはや信じるとか信じないとか、
そんな悠長な論議の次元では無い。
そんな呑気な雑念など入り込む暇は無い。
命のために。
命を地獄の魔手から救うために。
不条理極まる苦しみと悲しみから救うために。
****** 南 無 華 厳 大 悲 界 ******
蒼い夜の山で、渾身の祈りを捧げる。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:15::