***≪ 同 情 ≫***
 
人心は、いろいろだ。
自分が困った時、
自分が苦しんでいる時、
特にそのような時に、
人心の色の違いが顕著に現われる。
そのような時こそ、
その人の心の傾向性が露出する。
 
たとえば災難に遭った時。
多くを失くして悲しみの最中の時。
寒さと空腹に苦しんでいる時。
そのような時、
もし同じように苦しんでいる他者を見た時、
果たしてその人の心境は、どのような境地になるだろうか。
自分が苦しんでいるからこそ、
だからこそ他者の苦しみが痛切に分かるはずである。
他者の苦しみを、我が身に感じられるはずである。
つまり、本当の「同情」である。
口先だけではない、心からの同情である。
そして本物の同情は、
なんらかの行動を生んでいくのである。
もしそこにパンが落ちていれば、
その人は半分を他者に分け与えるだろう。
 
本物の同情とは、限りなく慈悲に近い。
それは人間にとって、重大至極な人間性である。
近頃では「同情心」に対して、
疑心暗鬼の目で見る人が多いようだが、
同情心を否定するようでは、世も末である。
人間は自ら未来を拒否しているようなものである。
そして本物の同情心とは、
人間以外の命たちをも、同じ心で見る。
無理してそのように見るのではない。
自然にそのように見れるのである。
本物の同情心とは、つまりそのような特色である。
 
東北被災地で、
動物たちが苦しみの渦中にいるという。
ペットたちの救護は活動家たちが奮闘しているが、
だが家畜たちは依然として極限状態にあるという。
家畜たちは囲いから逃げることもできずに、
その中で餓死を待つ日日であるという。
それは「生き地獄」という日日である。
それを撮影しただけで帰ってしまった記者たちは、
いったいどのような心境だろうか??
その報告を受けながら見殺しにしたマスコミの心境とは??
はっきりと言える。
その者たちは、重い課題を背負い続ける。
延延と果てしなく、重い重い課題を与えられる。
その者たちが、自分の心で「同情」を知るその日まで。
その日まで、延延と際限なく、課題が待ち受けるのである。
 
人間は、動物たちから、莫大な恩恵を受けてきた。
到底返せないほどの、天文学的な恩恵である。
にもかかわらず世間の本音は、「動物ごとき」・・である。
「動物ごときを心配してる場合じゃねえだろ!!」・・である。
よくよく、その言葉を考えてみた方がいいと思う。
その姿勢のままで、人間の未来は続くだろうか??
 
まず、家畜たちの綱を解く。
まず、家畜たちを囲いから出す。
「乾草」や「ヘイキューブ」や「フスマ」や、
「豆皮」や「乾燥おから」や「トウモロコシ粉」などを、
要所要所に置いていく。
これらは記憶を辿って書いた食糧だが、
廉価で調達容易で保存性が良いと思われる。
しかし、記憶違いがあるかも知れない。
「水」も重大だが、どこかに川があれば、
家畜たちはそこに向かうだろう。
もし歩ける範囲に川が無いのなら、深刻な問題である。
どこかに「水飲み場」を設置するしかない。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:12::