**≪愛護周辺 魑魅魍魎≫**
動物愛護を取り巻く周辺は、
「魑魅魍魎:ちみもうりょう」の世界である。
そこは余りに視界が悪いので、
中の様子を見ることは至難である。
知っているつもりの愛護家でも、
実際には知らないと言えるだろう。
ネット知識を誇るネット人も、
本当の実態は知らないだろう。
それほどにそこは霧に包まれており、
魔界のような場所である。
にもかかわらず、ほとんどの人人は、
ネットの風評だけで事を判断する。
ネットの巧妙な作文を信じ込み、それを流布していく。
人人は巧妙な作文に扇動され、愛護が妨害されていく。
人は何故、ネットに惑わされるのか??
人は何故、ネットに翻弄されるのか??
直観力を失ったからだと思う。
己の直観力が無いから、
ネット風評ごときに操られるのである。
世の中が直観を軽視してきたから、
それで当然ながら直観力が衰退したのだ。
人人は直観力を失ったばかりか、
己の直観を信じる信念も失ってしまったのである。
だから人人は、いつもいつも惑わされていく。
そして情熱溢れる愛護家が攻撃され、孤立してきた。
霧が濃いなら、
己の全感覚を起動して直観で進む。
そうすれば、その直観は研ぎ澄まされていく。
ところがそれをせずに、周囲の声ばかり頼れば、
結局どんどんルートから外れていく。
結局、同じ所を延延と彷徨うことになる。
人の声ばかり頼れば直観は錆付き、
その迷路から脱出できなくなるのである。
そのような人が実に多い世の中だと思う。
直観を蔑視して現実主義を謳っても、
実際には現実から遠ざかってしまうのである。
データを参考にすることは重要だが、
最後の判断は己の直観しかないのである。
だがその最も肝心な最後の判断ができないのだ。
そんなことでは、生きる力がどんどん弱くなっていく。
そればかりか、動物たちを護ることなどできはしない。
「動物●●協会」という公益社団の幹部が、
動物愛護を利用した不正商売を続けていたという。
今回の東日本被災動物救護を訴えるサイトの多くは、
「政府公認の公益法人が構成する救援本部を信じなさい」
・・・と強調し、民間団体の詐欺に注意しろと警告していたが。
不正商売をした幹部の所属していた公益社団法人は、
その元幹部を擁護しているような様子なのだが。
正義と清廉潔白を標榜する愛護サイトは、
この件に関してどのような見解を持つだろうか。
他者を平然と詐欺呼ばわりするサイトの本心とは??
それにしても愛護周辺は、まったく不可解な世界である。
策謀が渦巻き、卑怯な捏造作文が流布される。
まったくもって魑魅魍魎の世界である。
だからこそ、己の直観が重大なのである。
重大なことは、現実の行動を見ることである。
最も肝心なのは、現実の救護の姿を見ることである。
そこに偽心があるのなら、偽善があるのなら、
それは行動の端端に、必ず現われるはずなのである。
そして現実に現地で悪戦苦闘で奮闘しているのは、
これまで世間から叩かれてきた民間団体のようである。
そこの代表の文章を読んだが、そこから邪気など感じない。
その文章の気配に、邪気を感じなかったのだ。
そしてかなり控え目に、自分を抑えて書いてある。
本当は、もっともっといろんなことを書きたいだろう。
もっともっと世間に向かって叫びたいだろう。
だが抑えながら書いてある。それがありありと分かる。
おそらく、その代表の愛護感覚は、
世間の人人とギャップがあるのだろう。
愛護心が本物であっても、
感覚が異端だと、世間は受け入れ難いのだろう。
義心や侠気や覚悟の感覚は、
今の日本では理解され難いのだろう。
それは今の日本では、危険視されるのだろう。
だが実際に窮地の動物を救うには。
だが実際に動物を非道から護るには。
不屈の覚悟が必要なのである。
並大抵の意気では無理なのである。
それほどに、動物を助けることは困難なのである。
それほどに、動物への非道は冷酷非情なのである。
本物の愛護家とは、動物たちを救うために、
魔界に飛び込んでいくようなものである。
尋常な気迫では通用しないのである。
因みに私はこの代表との関係は無い。
だが野性界動物寺として、深く感謝している。
そして異端を叩く世間の風潮に、疑問を感じている。
だからこの記事を書いた次第である。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:10::