**≪動物救護行動≫**
動物を救護するには、
なにしろ迅速な行動力が必要となる。
素早い判断力と決断力が必要になる。
悠長に構えている暇など無いのである。
悠長に構えている間に、事態の悪化が加速する。
手遅れとなることも多いだろう。
東日本大震災で被災した動物を救うために、
被災動物救援本部が設置されたらしい。
そこは「政府公認」を謳っている。
政府と連携して動物を救うのだろうか。
とにかく莫大な寄付が集まったそうである。
寄付物資も溢れるくらいに集まったらしい。
だが物資は倉庫に満杯になったので、
物資の寄付は断っているようである。
義援金の募集は続けているようだが。
物資が倉庫に満杯状態とは??
一体どういうことなのだろうか??
他の小規模の民間レスキュー団体は、
相変わらず物資が必要な様子なのだが。
そういう活動団体に廻してあげることはできないのか。
一声掛ければ、それで済む話だと思うのだが。
なんとも不思議である。
「ボランティア募集」についても不思議だった。
要項を見ると、
ほとんど全てに於いて「自腹」ではないか。
車も燃料も飯も何もかも。
そして全てに於いて「自己責任」を求めている。
一体これは、どういうことなのか??
さっぱり分からない。
「動物を救いたい!!」と名乗り出る人物は、
救援本部にとっては「同志!!」ではないのか。
その大切な同志に対して、あまりにも薄情である。
一体どこに「義心」があるのだ。
一体どこに「熱い結束」があるのだ。
これでは救護に参加したくても参加できないだろう。
条件を満たせる一部の人しか参加できないだろう。
ボランティアの「行動部隊」が居なければ、
充分な救護活動はできないだろうに。
行動力が不足すれば、
寄付金も寄付物資も生かせないだろうに。
だからボランティアの善意は貴重なはずなのだ。
それなのに、実に薄情な対応である。
そこには、同志への感謝は無いのだろうか。
そこには、同志との連帯の意識が無いのだろうか。
そこには、同志を引っ張る親分が居ないのだろうか。
動物を救う使命に燃える、
熱い義侠の親分は居ないのだろうか。
物資は満杯。寄付金は莫大な金額。
ならばその金を、どこに使うと言うのか。
有志の行動者の行動費用に使って何が悪いのか。
有志の行動者の飯代に使って何が悪いのか。
何事も「燃料:エネルギー」が無ければ動けないのである。
そんなことは誰だって知っているはずである。
ガス欠の車で立ち往生しろと言うのか。
飯も食わずに動き回れと言うのか。
それとも、金持ちしか参加できないと言うのか。
まったく、ふざけた世の中である。
贅沢な飯を求める訳では無いのである。
誰もそんな飯は望んでいないはずである。
だが握り飯と味噌汁の飯代さえも許されないとは。
それとも寄付をした人たちは、
飯やガソリンに金が使われたら困ると言うのか。
ボランティアには一銭たりとも使わせないと言うのか。
どれほど大変な活動であっても、
危険を覚悟の活動であっても、
どこまでも「完全奉仕」を求めると言うのか。
疲れ果てた身体で、お茶も飲みたいだろうに。
甘い物も食いたくなるだろうに。
実際に活動できない人人の代わりに、
それを実践してくれるのだから、
もう少し大らかな思いやりを持つべきだと思うのだが。
寄付の人の心境も千差万別だろうが、
寄付金の帳尻ばかり気になる人は、
寄付は向いていないと思うのだ。
寄付とは本来、豪気なものだと思うのだ。
寄付する人が帳尻ばかり気にする人で溢れれば、
寄付を受ける組織は、そればかり気にするようになる。
結局、それが仕事になってしまう。
結局、会計報告が仕事になってしまうのである。
そこに精力の大半を注ぎ込んでしまうのである。
それでは全く本末転倒である。
それでは縦横無尽のダイナミックな活動など無理である。
本来の目的は一体なんだったのか・・となる。
寄付する側も、多少は大らかさが必要だと思うのだ。
「どんぶり勘定:ずさん会計」を許す意味では無い。
そういう意味では無く、
活動者を思いやる気持ちが必要だという意味である。
そうでなければ、愛護は会計世界になってしまう。
つまりは、「金勘定が重大事」の世界になってしまう。
それはもはや、愛護世界では無いと思うのだ。
確かに募金詐欺もあるかも知れない。
だが、そんなものは「気配」で分かるはずだ。
本気で動物救護に挑む者と、
募金詐欺を企む者と、
気配が同じはずが無い。
その全く異なる気配を見抜けなければ問題である。
動物を愛する人ならば、直観力が鋭いはずなのだ。
その直観力ならば、普通は気配を見抜けるはずなのだ。
いくら寄付金を集めたところで、
実際の行動力が無ければ話にならない。
いくら政府御墨付を謳ったところで、
迅速な機動力が無ければ話にならない。
いくら会計報告が完璧でも、
動物たちを護れなければ話にならない。
そこには本当に「本気の覚悟」があるのだろうか。
甚だ疑問を感じた次第である。
公認組織の職員は職員報酬があると思うが、
それに較べて有志は無報酬である。
無報酬どころか、自腹を切るのである。
その感覚に疑問を感じる次第である。
ところで。
もしボランティアが救護の初心者ならば、
私ならば最低限の基本知識を叩き込む。
それが窮地動物を救うために必要な知識ならば、
そのボランティアも真剣に聴くことだろう。
なにしろ「命」が懸かっているのだから。
もちろん自分の怪我を防ぐ方法についてもレッスンする。
それがたとえ半日でも、こういった講義の意義は大きいと思う。
たとえ短時間でも、やるとやらないとでは違うと思う。
なにより、心構えが違ってくると思うのだ。
そして適材適所である。
それぞれに得手不得手があるだろうから、
それぞれの希望を聞きながら、本人納得の上で役割を分担していく。
そして、それぞれの役割がそれぞれに重要なことを、全員に告げる。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:07::