***≪修行生活≫***
以前の記事にも書いたが、
今回の東日本被災者に対して、
私は何の支援もできない状態である。
私自身の生活が常に切迫しており、
日日を乗り越えるだけで精一杯である。
いい年をこいて、実に情ない話である。
だが生活がギリギリの状態なので、
被災の方方の心情は、ありありと分かる。
その苦労を共感することはできる。
ところで充分に物資が届かない場所もあるらしいが、
いったいどんな事情で届かないのだろうか。
このハイテクの時代に、なんか不思議である。
テレビや新聞が無いので、そこら辺が分からない。
ヘリとかで、どんどん投下できないのだろうか??
三月中旬から仕事が打撃を受けた。
近頃は土方の仕事も少ないので、
宿泊関連の仕事もやっているのだが、
その仕事が全部キャンセルになってしまったのだ。
どうにか小屋を作る仕事を貰ったりしているが、
それにしても予定が大幅に狂ってしまった。
そしてまたまた耐乏生活に入った。
米も少ないから、野菜雑炊の毎日である。
あるいは小麦粉で韓国チヂミを作る。
小麦粉と若干の片栗粉とネギとニラで作る。
毎日、雑炊かチヂミの献立である。
いわゆる「おかず」というものは無い食事である。
ここの夜は未だに零下五度以下になるが、
灯油が高いからストーブは使えない。
電灯も殆ど使わず、暗闇生活である。
とにかく最優先は、ドッグフードである。
自分の食事は最後に残った金で賄う。
だが、この程度では、まだ序の口である。
過去にはもっと厳しい生活をした。
絶食も頻繁だった。八日間まで断食した。
「活動」が無ければ、八日以上も可能だったと思う。
五ヶ月間、風呂に入らなかった年もある。
その時は、入れない環境だったのだ。
五ヶ月風呂に入らないと、どうなるか??
どうもならなかった。
ただ、強烈な寒気で固まった身体を、
温めて癒すことができなかった。
問題と言えば、それくらいであった。
因みに私は風呂嫌いではない。
風呂に入れば気分は極楽である。
だがその五ヶ月は、風呂のことを忘れた。
家の無い期間もあった。山中でテント暮らしだった。
犬舎の中で寝ていた期間もある。
車で寝起きの期間も長かった。
煮炊きは焚き火であり、雨水も飲んだ。
そういった年月も経てきたので、
今の耐乏生活も序の口だと思える。
だがやはり、空腹は空腹である。
寒いものは寒いし、苦しいものは苦しい。
充分に食べて暖かく寝れた方が快適に決まっている。
しかし、悲観していても、前には進めない。
もはや修行だと思う以外には無い。
実際、どこかで鍛錬になっているのである。
ところで被災者の方方の多くは、密集の中で雑魚寝らしい。
その「プライベートの無さ」は辛いと思う。
限られた空間の中の密集のストレスは甚大だろう。
そして明日の見えない日日は、とても苦しいと思う。
自分だったら、どうだろうか。
どこかに住み込みで働きに行くと思う。
そこで金を貯めて、店でも出そうと夢見るだろう。
もちろん、家族の犬達が居ないと仮定しての話である。
私の場合は自分が招いた生活であり人生である。
全ての責任は自分にあり、弱音など許されない。
だが、自分一人で生きるなら、どうってこと無いが、
多くの犬達を抱えているので、どうにもならない。
全く、がんじがらめのような人生である。
自分一人なら、どこへでも行ける。
どこへでも行って、生き延びる自信がある。
だが犬達を抱えているので、全てに亘って制限されてしまう。
仕事も環境も生活も時間も、全てが制限される。
そして犬達との生活は、一円も生まない。
それどころか、相当な額の費用を費やしてきた。
そういう人生を連綿と続けてきた。
人が知れば「?????」の人生である。
昔昔、犬の世界の先生に言われた。
「お前みたいな莫迦は見たことない!!」 と。
「お前の理想は分かるが、それは破滅の道だぞ!!」 と。
いつもいつも先生から怒鳴られた。
だが実は、先生は私を可愛がってくれた。
私のことを親身に考えてくれていたのだ。
しかし私が余りにも頑固なので、先生は遂に諦めた。
「お前が自分で、茨の道を選んだんだ・・・」
「お前は莫迦だが、人の引けない犬を引ける・・・」
それは先生の最大の誉め言葉だった。
誉めない先生だったが、最後に誉めてくれたのだ。
そこは先生が厳しいので、人が辞めていった。
だから大半の期間、40頭くらいの犬を一人で世話した。
闘犬も猟犬もショードッグも、和犬も洋犬も居た。
ピットもデンもマスティフもドーベルもロットも居た。
飼主が触ることもできない問題犬なども預かっていた。
彼ら全ての世話と運動と教導を一人でやった。
<広いドッグラン施設があったので助かったが>
そして自分の家族の世話と運動もあった。
朝の6時から夜の11時まで、ノンストップである。
もちろん飯を食う時間は作ったが。
そして休日など皆無である。365日の稼動である。
それは世間と隔絶された日常であった。
だが身体は耐えられた。精神も耐えられた。
何故かと思い返せば、
雑念の入り込む余地が無かったからである。
なにしろ、「命」を預かっていたからである。
命たちに、一瞬でも幸せを味わって貰いたかった。
ただその一念だった。
そこに三年間ほど世話になった。
だが遂に葛藤に耐えられなくなって辞めた。
そこの犬達がここを出て、
新たにどんな環境で飼われるかと想うと、
どんな生活環境に帰っていくかと想うと、
心配で眠れなくなるほどになった。
私の中では、もはや彼らは家族だったのだ。
そこを辞めた後、保護した家族が増えていった。
先生の予言した通りに、茨の道が続いた。
茨の道というよりも、破滅の道であった。
だが犬達は、元気満満である。
私もこうして元気で生きている。
何かに護られているようである。
他界した狼や犬たちが護ってくれているのだろう。
世界中の動物たちが、見守ってくれているのだろう。
野性対話道も、28年になる。
言葉にできないほどに、さまざまなことがあった。
すべては、この胸に刻まれている。
今この一瞬の中に、すべてが蘇る。
それを書き続けていく。
たとえ飯が食えなくとも。
世の中に、動物たちの心を伝えるために。
午前四時。犬たちの世話と運動に行く。
そして朝の山で祈りを捧げる。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:04:03::