***≪ 動 物 の 命 ≫***
 
動物の命とは何か??
動物の命とは、地球の命である。
本来なら人間の持ち物では無いのである。
人間の持ち物では無いのに、人間は好き放題に弄ぶ。
そんなことが許されるものなのか??
母なる地球は、それを許しているのか??
いや、許してはいないはずである。
毎日毎日、涙を流しているだろう。
 
商品として産まされる。
どんどんどんどん産まされる。
ペットとして売られる。
誰にでも売られていく。
優しい人にも。鬼のような人にも。
穏やかに楽しく暮らせることもある。
死ぬまで生き地獄の毎日になることもある。
あるいは捨てられることも多い。
あるいは殺されることも多い。
全体的に見れば、
ペットが幸せに暮らせる確率は著しく低い。
それでも、どんどんどんどん産まされる。
どんどんどんどん売られていく。
あるいは売れ残る犬も多いだろう。
彼らはいったいどうなるのだろうか。
 
人間は、こういう好き放題をしておいて、
いざ邪魔になれば、足手まといになれば、
容赦なくペットを見捨てる。
それが人間社会の「モラル」だという。
それが人間社会の秩序だという。
それが人間社会の常識だという。
人間社会のモラルというのは、
大自然のモラルとは随分違うようである。
違うというよりも、別世界である。
 
「動物の命」の根本を考えれば、
今の社会の意識とは相容れなくなるだろう。
だがその根本は本来、人間が知っておくべきことである。
本来知っておくべきことは、知っておいた方がいい。
知っておかないと、いつか必ず限界を迎えることになるからだ。
人間社会が限界を迎えてしまうということだ。
この世の「摂理」に背いていれば、限界は必然なのである。
そうならないためにも、知っておくべきなのである。
だが社会の意識が、知ることを拒めば、どうにもならない。
 
今回の東日本大震災で、
動物救助隊が活動すれば、
それに対しての誹謗中傷が多いと聞く。
前記事にも書いたが、
「救えるものなら、動物も救ってあげたい」
というのが救助隊の真意のはずである。
にもかかわらず、誹謗中傷が起こるという。
「そもそも!!」を考えれば、
そんな誹謗はできないはずだと思うのだが。
 その「そもそも」が、全く分かっていないのだろう。
無理難題を要求している訳では無いのだ。
救えるものなら救ってあげたい・・という人情を、
なぜそれすらも見守ることができないのだろうか。
 
あろうことか、
動物愛護世界でも誹謗中傷があるらしい。
私どもは清廉潔白です・・・
どうか怪しい団体と一緒にしないでください・・・
ほら、あそこが怪しいのですよ・・・
私どもは全然違うんです・・・
私どもは人間社会のモラルの元に動いているんですよ・・・
私どもは人間社会の味方なんですよ・・・
だから私どもを非難しないでくださいね・・・
そのようなアピールを、
暗に仄めかしている愛護組織があるようなのだ。
そのような心境で、
果たして動物を窮地から救えるのだろうか。
窮地の動物を救うには、大パワーが必要なのだ。
この人間社会で動物を救うには、
尋常なパワーでは無理に近いのである。
だが余計な雑念を抱いていれば、
大パワーなど絶対に湧き上がらないのである。
その純粋なパワーは、文面にも現われる。
だから文面を見れば、
パワーが本物かどうかが、大体は伝わってくるのである。
言葉は、まさしく言霊である。
深く集中して読めば、書き手の心模様が見えてくるのである。
奥に潜む本心が、だんだん見えてくるのである。
 
今の日本では、
動物愛護活動は社会の意向に沿わない場合が多い。
つまり、なかなか理解を得難いということだ。
なぜならば、
社会の意識自体が動物愛護を認めていないからである。
そのような中で愛護活動をすれば、
当然ながら白い目で見られることも多いはずである。
社会と軋轢を生じる場合も多いはずである。
「今の社会の意識」から見れば、それは異端活動なのである。
そして異端を絶対に許さない勢力も存在する。
その勢力は、世間を扇動して異端を粉砕しようとするのである。
そもそも愛護活動家というのは、
今の社会では異端視されることを、覚悟のはずである。
ところがそれを覚悟のはずなのに、
私はそういう異端者ではありません・・と強調する人が多い。
そしてそれを強調する人は、異端覚悟の人を攻撃する。
時には愛護を妨害する勢力とも結託して攻撃するのである。
異端覚悟の人を攻撃することによって、
自分の身を護ろうとしているのかも知れないが。
自分が常識人間だと強調したいのだろうが。
しかしそれは、なんとも見苦しい姿だ。
そこには潔さが微塵も無い。
晴れ晴れとした潔さが、どこにも見当たらない。
そのようなスタンスでは、
社会の意識を変えていくことなど到底できないだろう。
社会の意識が変わらなければ、
動物愛護など、いつまで経っても異端活動で終わるだろう。
それは、動物たちが救われないことを意味している。
 
動物の命。動物の尊厳。
それを考えることは異端なのか。
異端視することが人間社会の秩序なのか。
今までは、そうであった。
長い長い間、ずっとそうであった。
だがこれからもそのままで進むのか。
そのまま進めば、いったいどうなるのか。
そろそろそれを真剣に考えた方がいいと思う。
そろそろ新たな認識へと変化していくべきだと思う。
だいいち、認識を変えなければ「共生」など不可能である。
共生など、スローガンだけで終わってしまうだろう。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:03:20::