***≪ ある人の信念 ≫***
 
私は自分の人生をかけて、
私の知っている真実のもとに、
信じた道を貫きたいと考えております。
<杉本彩さんの記事より> 
 
前記事で杉本彩さんのブログを紹介した。
その記事を読んで、深く納得した。
その勇気に満ちた記事に敬意を表す。
決定的に人気商売の立場なのに、
大きなリスクを覚悟で発言する姿に感動する。
杉本さんの勇気は本物だと感じたのである。
杉本さんの本物の勇気と動物への愛に感動したのである。
 
詳しくは杉本さんの記事に書いてあるが。
ネットでは、好き放題の批判の嵐である。
この緊急事態でさえ、それは変わらない。
批判すれば足を引っ張ることになると分かっていながら。
動物救援活動に支障が出ることが分かっていながら。
「詐欺かも知れませんが、とりあえず救援隊を紹介します」
・・・というようなサイトの何と多いことか。
これでは、「詐欺の疑いがあります・・ご注意ください」
・・・と宣伝しているようなものである。
本当に悲しく寂しく情ない気持ちになった。
これでは救われるはずの動物たちが救われなくなってしまう。
なんで惑わされる人がこんなにも多いのか。
なんで人は自分の直観で判断できないのか。
考えれば分かるはずのことなのに。
根本を考えれば明らかなことなのに。
だが人はそれをせずに惑わされ続ける。
 
詐欺を目論む人間とは、
苦労せずに楽して金を手に入れようと発想する。
常に自分の保身を念頭に置くから、
世間に晒される事態を避けようとする。
誹謗中傷の嵐の中に立つなど論外だろう。
わざわざ己を窮地に立たせる真似など論外だろう。
そこに、リスクに見合う派手な儲けが無ければ、
詐欺師は詐欺を実行しないだろう。
リスクを上回るメリットが無ければ詐欺の意味が無いだろう。
それらを考えれば、いろんなことが明らかになるはずだ。
 
もし詐欺師で無い人間が、
純粋に動物を助けたいという動機の人間が、
世間中から詐欺師の烙印を押されたら。
世間中から誹謗中傷を浴び続けたら。
それはまさに耐え難き屈辱である。
その人の胸中は、どれほどに悲しいだろう。
それは想像もつかないほどだろう。
もし詐欺師だったら、耐えられないはずである。
詐欺師だったら、間違いなく逃げるだろう。
そこに信念が無ければ、
人間は精神的屈辱には耐えられないのである。
 
批判する人人が、
もし渦中の人と同じ立場になったとして、
果たして耐えられるだろうか。
世間中から非難を浴びても信念を貫けるだろうか。
精神的屈辱とは、想像以上の苦難である。
果たしてそれに何人が耐えられるだろうか。
果たして何人が信念を貫き通せるだろうか。
 
もしその渦中の愛護団体が介入しなければ、
これまでの救出現場は、どうなっていただろうか。
果たして誰かが動物たちを助けてくれたのだろうか。
他の団体が無事に救出してくれたのだろうか。
渦中の団体が入らなくても、
他の団体が迅速に救ってくれたのだろうか。
一刻を争う緊急事態だったはずである。
犬たちは極限の状態にあったはずである。
そこには一刻の猶予も無かったはずなのである。
問題の核心は、ここにあると思う。
動物を愛する者にとっては、ここが核心なのである。
動物を救うには、いろんな壁が立ち塞がる。
ちょっとやそっとでは救えないのが現実である。
普通では救うことなど至難だと言えるのだ。
だが生き地獄の環境下の犬たちが救われた。
私は野性界動物寺の立場として、ただただ感謝である。
 
私はいつか、この目で真実を確かめる。
直接その団体を訪問して、この目で事実を見る。
そこに居る犬たちを見れば、全てが一目瞭然である。
なぜなら、犬たちが語ってくれるからである。
犬たちが真実を伝えてくれるからである。
だから、いつか必ず彼らに逢いに行く。
そして、その時の模様を、
ありのままにレポートしようと思う。
皆さまに、ありのままの事実を伝えたいと思う。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:03:17::