≪ 愛 撫 力 ≫
愛撫とは、愛の心で撫でること。
愛犬を、愛撫する。
当然の交感である。
さまざまな愛撫がある。
さまざまな愛撫対話がある。
愛撫によって、対話するのである。
この「愛撫」無しに、
愛犬生活が送れるだろうか。
繊細な対話ができるだろうか。
ところが近頃では、
愛撫が敬遠されているような風潮がある。
「過剰接触」と言うが、過剰とは何か??
私にはどうにも分からないのだ。
「なんとか感染・・」を危惧してのことだと言う。
昔はそんな感染など聞いたことが無かったが。
それを言うなら私など何百回も病気になっただろうに。
ところが私は酷寒生活でも風邪さえ引かない健康者なのだ。
もしそれを危惧して愛撫を敬遠するのなら、
いったい犬と暮らす意味はどこにあるのか??
伴侶動物として犬を飼う意味はどこにあるのか??
深い対話も求めずに、
ただ給食して散歩してシャンプーして躾して。
犬はつまり、「動くぬいぐるみ」なのか??
愛撫を敬遠するくらいなら、犬など飼わない方がいい。
最初から犬など飼わずに無機質生活を堪能すればいい。
その方が、犬が不幸にならずに済むのだ。
犬たち同士にも、もちろん愛撫がある。
舐めたり寄り添ったり、
頬と頬を寄せ合ったり、やさしく咬んだり。
胸に抱いて一緒に寝たり。
そうやって「想い」を表現し、交感しているのである。
それは彼らにとって、とても大事な対話なのである。
だが世の中は、愛撫対話を敬遠しがちとなっている。
ただでさえ犬と意志の疎通ができない飼主が多いというのに。
ただでさえ犬とコミュニケーションできないのに、
愛撫対話を敬遠すれば、どういうことになるのか。
これでは大きな矛盾である。
いったい世の中は、何を目指しているのか。
すべてが「命令形」で解決できると思っているのか。
命令形生活で真の共生が可能だと思っているのか。
「共感と協調」無しには、共生は成り立たない。
共感と協調には、愛撫が重大な要素となる。
この愛撫力を軽視すれば、
ますます「飼犬問題」が増えていくことだろう。
軽視するくらいなら、犬など飼わない方がいい。
その方が、犬が不幸にならずに済む。
ところで。
愛撫には、不思議な力がある。
何かの事情で衰弱した犬が、
愛撫の力で回復する場合があるのだ。
その時の愛撫者が、
犬の最愛の主人であったなら、
その愛撫の効力は最大となる。
愛する人からの愛撫が、最も力を持つのである。
もし主人のいない犬ならば、
動物を心から愛する人の愛撫が力を持つ。
一心に愛撫すると、
その犬の心の中まで見えてくる。
その心が、だんだん暖色になっていくのが分かる。
真に心が癒されると、身体も癒されてくる。
心と身体は直結しているから、当然の話である。
心と身体が癒されて、犬は生命力を蘇らせる。
そして蘇った底力で回復していくのである。
<PS>
犬と親しく暮らすと免疫力が高まるという報告もあるようだ。
だが私の場合は、そういうデータ的なものは書かないので、
興味ある人は探してみてください。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:03:01::