≪犬に対する人間の要求の矛盾≫
 
人間は、犬に対して矛盾に満ちた要求をしてきた。
「使役」と称して、極端に部分的能力を先鋭化させる。
今度はその犬種を、万人向けの家庭犬として繁殖する。
どう考えても、最初から無理がある。
だからいろんな問題が起こる。
先鋭化した能力は、家庭では不都合を生むのである。
そして問題となった犬は処分される。
そして今度は問題を減らすために、
その犬種を「万人向け」に淘汰していく。
選択繁殖と言えば聞こえはいいが、
「不要犬」は無慈悲に処分されていく。
あるいは今度は「性能不足」だと不満を漏らし、
再び先鋭化させようと「選択繁殖」するマニアが現われる。
およそ「犬」たちは、こんなような歴史を歩まされてきた。
一体どれ程の数の犬が処分されてきたか見当もつかない。
ひとつの「傾向性」が固定化されるまでには、
実に膨大な数の「犠牲」が伴うのである。
まさに冷酷無情である。
それでも犬は人間を信じている。
純真無垢としか言いようがない。
 
たとえば「番犬」を求める人がいる。
他人に吠えてくれないと困るという。
もし吠えない犬だったら、
「役立たずめ!!」と罵倒される。
たとえば「静かな犬」を求める人がいる。
他人に向かって吠えれば、
「うるさいよ!!困るじゃないか!!」と罵倒される。
人間は平気で真逆の要求をするのである。
それが矛盾に満ちた理不尽だと気付かないのである。
 
たとえば「闘犬種」がいる。
海外の闘犬の歴史がどれほど凄惨か、知る人は少ないだろう。
だがその歴史を知れば、
なんで闘犬の闘争本能が尋常でないのかが、分かるはずだ。
人間は、とんでもなく残酷な方法で、闘争本能を先鋭化させたのだ。
海外に「DOGFIGHT」と言う言葉がある。
これは「・・凄まじい闘い・・」の代名詞となっているのである。
だが今度は人間は、その闘犬種を家庭犬にした。
当然、またも「淘汰」の繰り返しである。
しかし身体の奥底に顕著な闘争本能を残した固体も出現する。
今度は人間は、さらに過酷な淘汰を開始する。
「うちの闘犬種は、こんなにフレンドリーですよ」と言うことは、
つまりそれほど「淘汰」が過酷であったと言うことだ。
私は闘犬とも闘犬種とも付き合ってきた。
だが私は彼らにフレンドリーを求めたりしなかった。
彼らは私を深く慕ってくれたが、彼らはとても可愛かったが、
私は彼らに刻まれた本能を充分に心得ていた。
その本能も含めて、私は彼らを愛した。
これは、その本能を肯定するという意味では無い。
その「事実」を認めるという意味である。
その本能は、無数の犠牲の証なのである。
私はその無数の犠牲に、いつも祈りを捧げてきた。
 
人間にブリーディングされてきた犬たちの身体は、
もはや支障に満ち満ちている。
奇形に近い身体にされた犬種も多い。
そして滅茶苦茶な交配の連続。
自然界から見れば「ありえない」血液配合となっている。
だから当然、身体は弱体化の一途である。
健康そうに見えても、内部は悲鳴を上げているだろう。
動物病院のお世話になる犬のなんと多いことか。
犬は本来、物凄く丈夫な動物なのに。
相当なダメージでも自力で回復できる動物なのに。
 
たとえば被毛の「色」を限定しようとする。
たとえば体格を厳密に規格化しようとする。
たとえばそんなことを求めていれば、
何か重大な遺伝形質を捨て去っていくことになる。
目には見えない宝のような部分を捨ててしまうのだ。
そんなことを繰り返していれば、
取り返しのつかない非常事態になることは明らかなのに。
だが人間は、そんなことをずっと続けてきた。
 
人間は、なんでそこまで「極端」を求めるのか。
なんでそこまで極端な要求を犬に求めるのか。
極端を求めれば、反動が大きいに決まっている。
大きな反動が待ち受けていることは、火を見るよりも明らかだ。
火を見るよりも明らかなのに、なぜ分からないのだろうか。
「犬種の作出」と言うが、
そもそも人間の思考レベルの範疇に過ぎないのである。
人間の「嗜好」で命を弄べば、どんなことになるのか。
それくらいは誰でも分かると思うのだが。
 
「犬」は人間に好意を抱いた故に、
人間に好き放題に翻弄されてきた。
ある人は「あれをしろ!!これをしろ!!」と言う。
別の人は「あれはするな!!これはするな!!」と言う。
ある人は「こうであれ!!」と言う。
別の人は「こうであってはならない!!」と言う。
簡単に言えば、こんなような状況である。
それほどに、人間の要求には矛盾があるのだ。
それでも犬は懸命に応えようとしてくれるのである。
 
もし「犬の親」がこの状況を見たら何と言うだろうか。
人間よ!!いい加減にしろ!!
大事な大事な我が子を・・・一体どうしてくれるんだ!!
犬の親は、きっと怒り心頭となるだろう。
 
人間は犬を飼わない方がいいと思う。
犬を飼っても人間は、
いつもいつも不満だらけである。
自分の未熟や身勝手は棚に上げて、
何から何まで犬のせいにする。
「もっと!!もっと!!もっと!!」 と、
矛盾に満ちた要求を突きつける。
 
「根本」を考えなければ、何も解決しない。
悲劇はこのまま延延と続くだろう。
 
因みに「犬」は、真正狼の子孫では無いはずだ。
「真正狼::CANIS LUPUS」とは親戚関係にあるだろうが。
野生犬と狼は、同じ祖先から分かれたと思うが、
そこからは互いに別の進化を辿ったと感じる。
現代の犬の直接の祖先は「原始野生犬」だろう。
ただし、いくつかの「タイプ」があったと感じる。
海外の猛獣調教師の格言がある。
「雄狼が三歳となった時、全ての調教師は望みを失う・・」
実際、雄狼が三歳を迎えると、
あらゆる犬と別次元の動物になる。
たとえ主人を慕っても、隷属はしないのである。
その辺のところが、人人は理解できないらしい。
それを理解できないと、慕われることも不可能になるが。
<隷属しないから、だから執拗に敵視されてきたのである>
<人間は、思い通りにならないと、憎むのである>
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:02:21::