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*** 純 情 讃 歌 ***
 
≪果てなき純情を貫いたシベリア犬の物語≫
 
終戦後の昭和20年代。
シベリア抑留地に捨てられていた子犬を、
日本人抑留者たちが内緒で保護した。
日本から送られる小包に食糧が入っていたため、
抑留者の体力が少しずつ回復していた頃だった。
それでもまだ過酷な日常だったが、
収容所の日本人たちは、自分の食べる分を削って子犬を育てた。
そしてその黒い子犬を、「クマ」と名付けて可愛がった。
人人はクマから大変に癒されたという。
クマが火事を知らせて人人を救ったこともあるという。
クマと人人の間には、見えない絆が結ばれていたのである。
だが無情にも別れの時がやってくる。
最後の抑留者たちの帰国が赦されたのである。
犬は検疫等の理由で、日本には連れ帰れないのである。
 
昭和31年12月21日夕方。
抑留者たちはハバロフスク駅から列車に乗せられる。
そして22日に出発し、23日にナホトカ港に到着。
そして引揚船の「興安丸」に搭乗する。
24日朝。砕氷船が港内の氷を砕き、興安丸を外港に曳航する。
 
その時。誰かが叫んだ。
「クマが海に飛び込んで、船を追って泳いでいるぞ!!」
なんとクマは、
収容地からこのナホトカまで、人人を追ってきたのである!!
そして離岸した興安丸を見て海に飛び込んだのである!!
クマは砕けた氷塊の上を右に左に飛びながら、
しかし時折氷から滑り落ちて海に落ち、
また氷に這い上がっては船を追ってくる。
船上から皆が口口に「クマ、引き返せ!!」と叫んだが、
クマは尻尾を振りながら懸命に氷塊の上を飛んで追ってくる。
だが、なにしろ零下40度である。
ズブ濡れの被毛は、瞬時に氷漬けと化してしまった。
クマは尻尾の先まで、氷に覆われてしまっていた。
もちろん全身を激しく振って水気を飛ばそうと試みたのだが、
水気が被毛を離れる前に、瞬時に凍ってしまうのである。
それほどまでに怖ろしい酷寒だということだ。
だんだん、船が遠のいていく。
このままでは、クマの死は時間の問題だった。
 
ところでクマは、
22日から24日の朝までに、
「1000km」近くを走り抜いたらしい。
単純計算だと、時速20kmで50時間を走り続けたことになる。
確かに「犬」の耐久力は凄いレベルである。
人人が考えるよりも、はるかに。
だが、零下40度の雪原である。
たったの2日間で、1000kmを走破である。
これはもう、想像を絶した世界である。
おそらくクマの足裏は、「ズタズタ」だっただろう。
いかに丈夫でも、この苦行では足裏が裂けただろう。
時折雪を食ったかも知れない。
だがそれ以外の時間の全てを走ったに違いない。
肺は焼け、心臓は破れんばかりとなり、
筋肉はもはや限界を迎えようとしていた。
極限の疲労と痛みの中で唯ひとり。
なぜそうまでして。
なぜそうまでして走ったのか。
おそらくクマは、一刻の猶予も無いことを知ったのだろう。
最愛の人人が、
自分を育ててくれた人人が、
遠く去っていくことを、
もう二度と逢えなくなることを、
本能で覚ったのだろう。
そしてクマは、その命を賭けたのであった。
 
そしてクマは、港に辿り着いた。
そして船上の人人の気配を鋭くキャッチした。
そして、海へと飛び込んだのである。
収容地からナホトカまでの道程。
クマはその道程を全く知らなかった。
全く知らなかったのに、
ただ人人の気配を求めて走り続けたのである。
 
興安丸が停止した。玉置船長の判断であった。
縄梯子が降ろされ、船員がクマを抱いて船上に引き上げた。
船内に歓声が湧きあがり、人人は涙したという。
船長はクマの身元引受人となり、日本に帰港すると検疫を受けた。
クマはその後、有志の人に大切に飼われたという。
 
< 資料::ふれあい大学文集13号「せせらぎ」より。>
 
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引揚者の人人は、「クマと苦労を共にした・・」と言っている。
船長も、「クマの純情に胸を打たれた・・」と言っている。
あの、まだまだ厳しく過酷な時代に・・・
こんなにも純真な心の交流があったのである。
自分たちの食事を削って子犬を育ててくれた人人。
全責任を一身に負って犬を船上に引き上げた船長。
だからこそ。
だからこそクマは、その純情のすべてを捧げたのである。
・・・・そのやさしき人人に・・・・
 
だが今はどうだろうか。
これだけ豊かな時代になって、
そのやさしさも豊かになっただろうか。
経済的に余裕ができても、
心の余裕は失われてしまったのではないだろうか。
たとえ苦しくとも、大きな心に憧れたい。
たとえ貧しくとも、純情を宝だと思いたい。
すべてが計算づくで何が大事だとか何が優先だとか、
すべてが頭の理屈で埋め尽くされた世の中に、
本当の未来はあるのだろうか。
たとえどんな時代になろうとも、
純情は輝ける宝物だと信じて生きたい。
あのクマの勇姿を想って生きたい。
 
 
因みにクマは25kg位の中型犬だったようだ。
その体格と強靭な体力を考えると、
「ライカ種:シベリア犬」の血が濃かったと思われる。
シベリアは広いから、地方地方のライカ種がいるが。
 
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写真は、我が家族の黒犬「シン:真」
彼もまた純情の塊りである。
そして犬たちは誰もがまた、そうである。
その純情を裏切る訳にはいかない。
たとえ何が起ころうとも。
 
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:02:02::