
心の中が「ざわざわ」していると、犬とは対話できない。
犬と対話するには、まず自分の心を鎮めることだ。
たとえ自分が人間世界の騒ぎの渦中にあろうとも、
もし犬と対話したいのなら、その騒ぎを全て忘れることだ。
その騒ぎを引き摺るようであれば、対話世界には入れない。
だから心境転換は非常に重大である。
だが心境転換は意外に難しいから、訓練が必要である。
常日頃からチャレンジを重ねていく必要がある。
日頃からチャレンジを積み重ねていけば、いつかはそれが可能になる。
だがそれを怠れば、いつまで経っても転換は不可能に終わるのである。
犬は大らかだから、主人の「ざわついた心境」を見守ってくれるだろう。
犬は何も言わずに、いつも通りに付き合ってくれるだろう。
だが犬には、主人の乱れた心模様がお見通しである。
その乱れた心模様を癒してくれる犬も多いだろう。
犬に癒しを求めることが習慣となった飼主も多いだろう。
だがそれでは、その飼主の精神的成長は少ない。
だがそこには、本当の意味の対話は生まれない。
犬は本当は、主人の精神の成長を願っているのである。
主人の精神的成長が、その犬の喜びなのである。
だから飼主は、己を見詰め、己を叱咤激励し、ざわついた心境を捨てる。
そして本物の自然体で対話に臨まねばならない。
そうすると犬は、主人の心境の変化を鋭く察知する。
そうすると犬は、いよいよ本物の対話を始めるのである。
そして犬は、いろんなことを教えてくれる。
人間世界では学ぶことのできない何かを、教えてくれるのである。
犬たちは、自然界からのメッセンジャーである。
今はペットと呼ばれているが、
たとえそれでも、いかなる人間よりも自然界と結ばれている。
人間が自然界の言葉を直接聴くことは至難だが、
犬たちが伝言者となってメッセージしてくれるのである。
その宝のような伝言を聴かずに終わる飼主の何と多いことか。
それでは犬たちも、さぞかし悲しいことだろう。
犬はただ可愛がられることだけが幸せではない。
犬は伝えたいのだ。愛する主人へ。偉大な伝言を。
犬は「伝言者」だと言ったが、少し補足する。
実は犬自身の内側に、自然界がそのまま入っているのである。
その姿形は本来とは随分変わり果ててしまったが、
犬の内側に隠された自然界の精髄は、今もなお健在である。
どんな犬にも、人間の知らない未知のスピリットが隠されている。
その肉体の内側の、その心の奥の奥に、それは隠されている。
それを見れるか見れないかは、ただただ対話次第である。
その対話世界に入るには、己自身の心境こそが最も重大である。
生きる、ということ。
渾身の力で、命の限りに生きるということ。
死ぬ、ということ。
正面から死を見つめ、自分のすべてで死を迎えるということ。
犬たちは、その実践者である。深く見つめれば分かる。
どんな本にも書かれていないことを、彼らは無言で見せてくれる。
愛犬の臨終に、飼主は何を見るだろうか。
寂しい・・悲しい・・だけで終わるのだろうか。
愛犬がどのような境地で死を迎えたかを、胸に刻んでくれただろうか。
死の時、そこには愛犬の、今生最期のメッセージが秘められている。
愛犬と対話の世界にいたのなら、そのメッセージに気付くはずだ。
写真は1997年。生後2週間。
目が開いたばかりで、まだあまり見えない。
いろんなことを、私に話しかけている。
今もその時が、鮮やかに蘇える。
■南無華厳 狼山道院■