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<2011年1月21日>

心の中が「ざわざわ」していると、犬とは対話できない。

犬と対話するには、まず自分の心を鎮めることだ。

たとえ自分が人間世界の騒ぎの渦中にあろうとも、

もし犬と対話したいのなら、その騒ぎを全て忘れることだ。

その騒ぎを引き摺るようであれば、対話世界には入れない。


だから心境転換は非常に重大である。

だが心境転換は意外に難しいから、訓練が必要である。

常日頃からチャレンジを重ねていく必要がある。

日頃からチャレンジを積み重ねていけば、いつかはそれが可能になる。

だがそれを怠れば、いつまで経っても転換は不可能に終わるのである。


犬は大らかだから、主人の「ざわついた心境」を見守ってくれるだろう。

犬は何も言わずに、いつも通りに付き合ってくれるだろう。

だが犬には、主人の乱れた心模様がお見通しである。

その乱れた心模様を癒してくれる犬も多いだろう。

犬に癒しを求めることが習慣となった飼主も多いだろう。

だがそれでは、その飼主の精神的成長は少ない。

だがそこには、本当の意味の対話は生まれない。

犬は本当は、主人の精神の成長を願っているのである。

主人の精神的成長が、その犬の喜びなのである。

だから飼主は、己を見詰め、己を叱咤激励し、ざわついた心境を捨てる。

そして本物の自然体で対話に臨まねばならない。

そうすると犬は、主人の心境の変化を鋭く察知する。

そうすると犬は、いよいよ本物の対話を始めるのである。


そして犬は、いろんなことを教えてくれる。

人間世界では学ぶことのできない何かを、教えてくれるのである。

犬たちは、自然界からのメッセンジャーである。

今はペットと呼ばれているが、

たとえそれでも、いかなる人間よりも自然界と結ばれている。

人間が自然界の言葉を直接聴くことは至難だが、

犬たちが伝言者となってメッセージしてくれるのである。

その宝のような伝言を聴かずに終わる飼主の何と多いことか。

それでは犬たちも、さぞかし悲しいことだろう。

犬はただ可愛がられることだけが幸せではない。

犬は伝えたいのだ。愛する主人へ。偉大な伝言を。


犬は「伝言者」だと言ったが、少し補足する。

実は犬自身の内側に、自然界がそのまま入っているのである。

その姿形は本来とは随分変わり果ててしまったが、

犬の内側に隠された自然界の精髄は、今もなお健在である。

どんな犬にも、人間の知らない未知のスピリットが隠されている。

その肉体の内側の、その心の奥の奥に、それは隠されている。

それを見れるか見れないかは、ただただ対話次第である。

その対話世界に入るには、己自身の心境こそが最も重大である。


生きる、ということ。

渾身の力で、命の限りに生きるということ。

死ぬ、ということ。

正面から死を見つめ、自分のすべてで死を迎えるということ。

犬たちは、その実践者である。深く見つめれば分かる。

どんな本にも書かれていないことを、彼らは無言で見せてくれる。

愛犬の臨終に、飼主は何を見るだろうか。

寂しい・・悲しい・・だけで終わるのだろうか。

愛犬がどのような境地で死を迎えたかを、胸に刻んでくれただろうか。

死の時、そこには愛犬の、今生最期のメッセージが秘められている。

愛犬と対話の世界にいたのなら、そのメッセージに気付くはずだ。


写真は1997年。生後2週間。

目が開いたばかりで、まだあまり見えない。

いろんなことを、私に話しかけている。

今もその時が、鮮やかに蘇える。


■南無華厳 狼山道院■