イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

<2011年1月7日>

28年前。

北極犬と共に、野性対話道の扉を開けた。

北極犬というのは、北極エスキモー犬のことである。

グリーンランド北部やカナダ北極圏の極地犬である。

そこは零下50度の極寒地帯である。

零下50度・・・いったいどんな寒さだろう・・・・

零下20度なら私も毎冬経験しているが、50度とは・・・・

普通なら「犬」は生きていられないらしい。

瞬く間に凍死すると言われている。

本来ここには、犬は生息していなかったのだ。

その「死の世界」を、幾千年に亘り、北極犬は生き抜いてきた。

いかに北極犬と言えども、死ぬほど寒かっただろう。

死ぬほど寒い毎日を、耐えに耐えてきたのだろう。

酷寒だけではない。

「飢え」との闘いがある。

日常的に「飢え」と闘ってきたのである。

食べなければ、身体は一向に温まらない。

酷寒と飢えのダブルパンチで、どんどん衰弱していく。

それどころか、普通なら精神が壊れていくだろう。

そしてさらに・・・

そしてさらに苦難は重なる。過酷な重労働である。

空腹の身で、酷寒の中を延延と、重い「ソリ」を曳き続けるのである。

それを曳きながら、50km100kmを走破するのである。

昨今の「犬ゾリレース」用の、小型で軽量のソリのことではない。

北極犬は、車ほどの長さの「重量ソリ」を曳くのである。

・・「犬ゾリレース」は、「曳く」ことを競うのではなく、

・・その主旨は「スピード耐久レース」となっているので、

・・本当は「犬ゾリ」という言葉は当てはまらないと思うのである。

北極犬はその重労働のあとにも、安らぎは与えられない。

彼らは零下50度の中の、氷雪の上で寝るのである。

それはある意味、野生動物よりも過酷な環境であった。

酷寒と飢えと重労働・・・そしてまだある。

壮絶な「牙の掟」である。

昔、北極犬の闘いの映像を観たことがあったが、凄まじかった。

よくぞ身体が壊れないものだと、不思議なくらいだった。

実際には、身体内部に深いダメージがあったと思うが・・・・

北極犬は、石のような凍結肉の塊りを、噛み砕いて食ってしまう。

そのような咬力の犬同士が闘うのであるから、壮絶さが分かるはずだ。

しかし彼らの闘いは、単なる「喧嘩」とは違う。

その奥に、「群れの統率:群れの調和:群れの存続」という目的が隠されているのである。

群れに於いて、なぜ「立場:位置:順列」が決められるかと言えば、

彼らの本能が「統率:調和:存続」を求めているからである。

その過程に、「牙の掟」が存在するのである。

酷寒・飢え・重労働・牙の掟・・・・まったく過酷な世界である。

その生死の境界を北極犬は、ただただ気力で乗り越えてきた。

よくぞ耐え抜き、よくぞ生き抜いてきたと、心からリスペクトする。


北極犬はそして、狩猟本能の塊りである。

彼らは生きるために狩猟する。

そこが獲物の豊富なエリアならば、彼らは自力で生きていけるらしい。

猟犬とは意味が異なる。自らに判断し、自らの意志で狩猟するのである。

つまり彼らの能力は、野生犬レベルだと言われているのである。

海外の研究者は語る。「北極犬は犬の範疇にいない」と。

つまり北極犬は、一般犬種とは全く別方向の進化を遂げたのである。

我が家族の「ライ:雷」も、北極犬そのものだった。

狩りの訓練など一度もやったことが無いのに、

山へ入ると、自らの意志で狩猟してしまうのであった。

彼には申し訳なかったが、それはとても困ることだった。

私はそれを見たくなかったので、彼の狩猟行動を制止した。

彼は私の命令を理解し、己の本能を抑えてくれた。

私の心に複雑な葛藤が生まれたが、彼には我慢してもらった。

その代わり、毎日存分に躍動してもらった。

どんなに疲れていても、彼と共に運動に出掛けた。

そして冬には犬ゾリで走った。

彼は私の号令に鋭く反応し、北極犬パワーを爆発させた。

彼は普段は北極犬本能を抑制してくれた。

だがそれでも、内に秘めた闘志は尋常ではなかった。

決して吠えず、いかなる時も無言だったが、

いつも自然体で相手を見詰めるだけだったが、

だから実に静かで穏やかな犬に見られたのだが、

もし一旦本気になれば、彼は「猛獣」となってしまう。

だから私は、常に細心の注意を払わねばならなかった。

とにかくライの豪胆は、異常な次元だったのである。


そしてライの圧倒的なパワーと瞬発力に感服した。

私の指示は聞いてくれるのだが、

なにしろ彼の一挙動で、私の身体が持っていかれてしまうのだ。

その重く鋭い瞬発力は、いかなる犬種でも味わえない異質な力だった。

それはそうだろう。当然の話である。

その生涯の全てが、その歴史の全てが、過酷な重労働で明け暮れたのである。

北極犬がケタ違いのパワーを持っていても、なんら不思議ではないのである。

ライの肩高は70cm、鍛錬体重は45kgだった。

<雄のハスキーで大体25~28kgくらい>

彼はその体格でありながら、フラッシュのような素速さを持っていた。

その体格でのその速さが、北極犬独特の能力だと思う。

いかにパワーがあろうとも、速さが無ければ野性界では生きられないのである。

因みに大きな個体だと、肩高75cm、体重55kgを超えるらしい。

そのクラスの北極犬を眼前に見れば、唖然とするほどに大きいだろう。

それ以上に超大型の犬種はいるが、

北極犬は野性の威圧感に溢れているので、異質な大きさを感じるのである。


ところで本種には、極地狼の血が入っている。

そもそもそのエリアには「犬」が存在しなかったので、

重血交配の弊害を避けるために、やむなく狼と交雑させたらしい。

なぜ「やむなく」かと言えば、

現地の人は狼が「猛獣」であることを知り抜いていたからである。

しかしそれでも、危険を承知で、

命綱であるソリ犬の強靭さを保つために、ときどき狼の血を入れたのである。

当然、調練不可能な個体も出現しただろう。

そのような個体は、おそらく早期に間引かれたと思われる。

馴致が不可能となれば、間引くしかなかっただろう。

そもそも北極犬は、馴致が困難である。

犬の本にはそれとは真逆の内容が書かれているが、それは誤解である。

北極犬は、他の北方犬種たちとは、まるで気質が異なるのである。

そして北極犬は、人間と一定の距離を置く。

「犬ゾリ」や「狩猟」の際には人間の命令を聞き、人間と協調するが、

それ以外の時間は、人間とは別の世界に生きているのだ。

彼らの対人感覚は、人人に分かりづらいと思われるが。

北極犬は、途轍もなく長い年月を、その感覚で生きてきた。

だから他の犬種にとっては当然の「パートナー感覚」も、

北極犬にとっては未知の領域なのである。

北極犬は、その苦闘の歴史の果てに、独特の種へと昇華した。

犬でも狼でも狼犬でもなく、「北極犬」という命に昇華したのである。

北極犬は「最も原始的な犬」だと言われるが、

だが実は、原始的でありながら究極の進化を遂げた犬なのである。

※北極犬として究極の進化を遂げたということは、

もはや「暑さ」は大敵だということである。

彼らにとって、暑さは致命的な大問題となるのである。

それで私は北極犬と共に寒気を求めて移動した。

そして標高1300mの森に辿り着いた。

ここの夏なら大丈夫だった。気温も低く、湿気も無いのである。


北極犬はもはや現地でも、純血種は極めて希少のようである。

現地の人の生活自体が変わってしまったので、

北極犬の存在意義が極端に薄れてしまったからである。

今もネットや本などで北極犬として紹介される写真を見かけることがあるが、

しかしそれらは、私の知っている北極犬ではない。

著しく小型化し、凄味に満ちた威圧感も失っている。

だが、それでいいのかも知れない。

本来の北極犬の真髄を、心から理解してくれる人など滅多にいないのだから。

もし理解できない人に飼われることになったら、それこそ悲劇である。

北極犬は、北極の闘士である。

幾千年の苦闘の歴史の結晶体である。

彼らは、現地の人人の命綱だった。

彼らは渾身の力で、人人を支えてきた。

私はただ彼らの伝説を、世に残したいのである。


■南無華厳 狼山道院■