<2010年12月7日>

「Animal Communication」という言葉がある。

「動物との対話」という意味だろう。

だが動物との対話は、さまざまな要素から成り立つ。

ただ「聴く・伝える」だけでは、成り立たないのである。

もちろん、動物の心の声を「聴く」ことは難しい。

もちろん、動物に自分の意思を「伝える」ことは難しい。

問題は、聴いた上で、どうするか?? ということだ。

問題は、伝えた上で、どうなるか?? ということだ。

そこからが、さらに難しいのである。


そして実は「聴く」ことも、実際には問題を含んでいる。

なぜなら「動物たちの感性と価値観」を知っていることが、前提条件となるからだ。

そうでないと、「勘違いの翻訳」となってしまうからである。

つまり、「擬人化した翻訳」となってしまうからである。

「人間の世界観・人間の価値観」で翻訳することが一番の問題なのである。


そして「聴いた」上で「伝えた」として、

「それを動物たちがどのように受け止め、どのように対応してくれるか??」が問題となる。

動物たちがそれを受信して、彼らがどのように対応するかが問題となるのである。


たとえば犬と対話するとき、彼らの声を聴いたとする。

そしてこちらの声を伝えたとする。

だが犬がこちらの声を受信したとしても、どのように対応するかは分からない。

そのとき、今度は犬から見たこちらの立場が問題となる。

犬にとってこちらはどんな存在なのか?? それが問題となるのである。


このようなことを鑑みると、動物との対話とは、相当に至難である。

一瞬の中に、さまざまな要素が凝縮されているのだ。

一瞬の中に、さまざまな要素を凝縮させなければならないのだ。

その「さまざまな要素」についてを、このブログで書いてきた。

いろんな記事に、いろんな形で、散りばめて書いてきた。

いろんな要素が、相関し、連関し、重なり合うから、散りばめて書いてきた。

結果、かなり膨大な記事になってしまったが、そこに散りばめて書いてある。

この野性対話道は28年目に突入する。 これからも書いていく。


■南無華厳 狼山道院■