
「動物に、魂はあるのか??」・・・
「人間の魂と動物の魂は、どう違うのか??」・・・
このような質疑を、「スピリチュアル世界」で見かける。
大概は「動物の霊格は、人間よりも劣る」と回答されている。
「動物の魂は、学びが足りない幼稚な次元である」とも言われている。
あるいは「動物には、人間のような固有の魂は存在しない」とも語られる。
これまで、かなりいろんなサイトを拝見したが、多くはこんな感じだった。
ほとんどが、何かの本とか文献を引用しているような感じだった。
スピリチュアル世界とは、こういう視座なのか・・・実に残念である。
<もちろん、そういう人ばかりでは無いはずだが・・・・>
宗教家も似たような話に終始する。彼らも動物の魂を知らないのか??
大乗仏教者は「悉有仏性」と語るが、それは「建前」に過ぎないのか??
「固定観念を脱却せよ」と説くが、それは口先だけなのか??
狼山は「野性界動物寺」として、いつも残念に思っているのである。
人間と動物は、姿かたちが違う。
人間と動物は、「表現」が異なる。
動物は人間のような「言語」で交信しない。
そして動物と人間は、学びの項目が異なるのである。
どちらが優れているとか劣っているとか、そういう問題では無いのである。
そこで「優劣」を発想した時点で、その人は最大の過誤を犯すのである。
そこで優劣を思い浮かべた時点で、その人は何も見えなくなるのである。
視座を変えれば動物たちの方が、過酷で高度な学びを実践している。
視座を変えれば人間たちは、独特の学びの領域に入っている。
つまり較べることはできないのである。比較は無意味なのである。
人間はとにかく「比較したがる」傾向を持っているのである。
口ではそれが過ちだと言いながら、それを犯しているのである。
人間と動物は、
今生に於いて「姿かたち」が違うだけである。
今生に於いて、表現が異なるだけである。
今生に於いて、交信方法が異なるだけである。
今生に於いて、学びの手段が異なるだけである。
こんな明快なことも知られていないとは・・・・残念であり、失望する。
きっと宇宙人も、がっかりしているに違いない。
もし「動物の魂」を語るのなら、
とことん動物と共感しなくてはならない。
それ無しには、語ることはできないのである。
運命を共にするくらいの覚悟が無くては、魂は見えてこないのである。
どんな本を読んだところで、どんな文献を読んだところで、魂は見えないのである。
動物の魂を実感できないのに安易に評論することは、実に失礼な話なのである。
たとえば「宇宙人」との交信を望む前に、
たとえば「神」との交信を望む前に、
動物たちや自然界との交信を試み、理解を深めるべきだと思う。
動物たちが、尊いメッセージを発信しているのに・・・・
自然界が、偉大なメッセージを発信しているというのに・・・・
あるいは、これだけ動物たちが困っているのに。
あるいは、これだけ自然界が困っているというのに。
身近な動物や身近な自然も、悲鳴を上げているというのに。
まずは地球の「同胞」たちの叫びを、聴くべきだと思うのだが・・・・・
だがその反対に、今度は動物の心を「擬人化」する人も増えてきた。
動物の心境を、安易に即座に「人間の言語」で表現する人が多いのだ。
正直言って、動物たちは、人間の言語のようなニュアンスでは語らない。
動物たちは、言語で思考しないし、言語で表現もしないのだ。
だから彼らの心境を代弁することは、実に至難なのである。
彼らの心境が分かっても、それを言葉で表現することが至難なのである。
そして彼らの価値観は、人間とは異なる。 死生観も、まったく異なる。
だから人間の価値観をそこに混ぜることは、絶対に禁物なのである。
その「交信者」が、人間としての感性で判読したら過誤が起きるのである。
人間の感性で判読して人間の感性で表現したら、誤差が大き過ぎるのである。
だから「交信者」は、まず「動物の実像」を知らねばならないのだ。
だから動物との対話、動物との交信は、独特な領域なのである。
動物からの「声」は、言語では入ってこないのである!!!
それをあたかも言語で入ってくるように語る風潮は、動物にとっては心外だろう。
動物たちの「交感・交信」は、言語対話よりも深い領域なのである。
その「言葉を超えた世界」を、安易に言葉で表現することはできないのだ。
彼らの声は、つまり「心そのもの」である。
いや、魂そのものと言ってもいい。
彼らはそれほどにダイレクトなのである。
人間のように交錯錯綜していないのだ。
彼らと生きてみれば、それがありありと分かるはずだ。
写真::「茜:あかね」と。
六年前に、赤ちゃんの時に、捨てられていた。
彼女は私の心が分かる。私も彼女の心が分かる。
私に抱っこされると、彼女は夢見心地になる。
時には森を離れていても、茜からの心の声を感じる。
私も深く集中し、茜に返事を送る。
時には、森にいる茜の姿が見えることもある。
茜だけではない。みんなの姿が見えるのだ。
全員が、深く強烈な想いで私を慕っている。
純情ゆえに、その想念は凄い。圧倒されるほどだ。
それほどにまでに愛されて、私は世界一の幸せ者だ。
■南無華厳 狼山道院■