イメージ 1

<2010年10月1日>

私が何故に「野性の動き」に興味が深いかと言えば、

「動き」は野生界で生死を分ける問題であるからだ。

狼の動きを理解できれば、狼に捕食される草食獣の能力や心境が理解できる。

草食獣は、時に狼の動きでさえも見切らねばならないのだ。

草食獣は、時に狼の底知れぬ眼力とも対峙せねばならないのだ。

草食獣は、時に狼のアタックからも逃れる力を備えているのである。

だから、野生の草食獣たちもまた凄いのである。

野生の草食獣たちの「気力」も凄いのである。

狼の眼力に呑まれたら、瞬時にそこで動けなくなる。

気力が萎えれば身体は金縛り状態となり、フリーズするのである。

だから草食獣たちは、全気力を振り絞って生きる可能性に挑むのである。

どんな身体能力を持っていても、気力を失えばそこで終わるのである。

人間は「道具」を使って自分は無傷のままに容易に獲物を倒すが、

だから野生動物たちの「美しき力」に触れることさえ無いだろうが、

人間が彼らの「神技の芸術」から学べることは無尽にあるはずなのだ。


狼の動きは凄い。

その動きの、ほんの片鱗を見てきただけだが、

その片鱗だけでも驚異であり感服であった。

もし狼が本領を発揮したならば、

それはもはや異次元の動きであることが分かる。

<とりわけ驚異は、その「反応速度」である・・・>


昔に満州から帰還した人の話だが、満州狼が人間の頭上を軽軽と跳躍したと言う。

兵士たちは凍りつき、ただ狼が飛び交う姿を見ながら茫然としたと言う。

狼は兵士たちの沈黙を見て、そのまま走り去ったと言う。

あるいは昔昔、山中で日本狼と遭遇した剣士が、ついに抜刀できなかったと言う。

狼と対峙するも凍りつき、刀を抜くこともできなかったと言う。

狼は剣士のその沈黙を見て、そのまま立ち去ったと言う。

私は実感として、ありありとその光景が見える。

狼の本気の気迫は、人間の想像を超えているのだ。


私は時に、空手の形の演武に、野性の動きを垣間見る。

元元、ヨーガや武術は「動物の動き」を参考にしていると思われる。

あるいは、それをイメージして自らの動きを磨き続けてきたと思われる。

古人たちはおそらく、動物の動きの凄さを理解する力を持っていたのだろう。

だが現代人は、「野性」を手本にするとかの発想を無くしている。

というか、そういう殊勝な気持ちを失っているのだろう。

人間が動物に学ぶものなど「あるわけが無い!!」と思い込んでいるのだろう。

だが稀に、野性に近づいた雰囲気の「凄い動き」に出逢うことがある。

そのような達人は、気持ち的に野性と一体になっているような気がする。

世界レベルの達人の演武だから、普通の動きとは比較にはならないが、

人間の動きの可能性として、ただただ「凄い!!」と感服する。

<これは自分の個人的イメージであり、「感想文」である・・・>


これは自分の主観だが、

空手で言えば、女性空手家の「速さと切れ味」に驚く。

映像でさえそう感じるのだから、実際にはその何倍も凄いだろう。

<カメラ速度が、動きの速さに追いつかない場合が多い・・・>

男性の場合には「重い威力」が凄いが、女性の速さと切れ味も凄い。

もちろん男性も速いが、「動きの質」として女性特有の切れ味を感じるのだ。

だが世界レベルともなればもちろん、そこには大基本が生む「威力」が存在する。

そこに威力が存在しなければ、それは空手とは呼べないし、達人とは呼ばれない。

ただ速く華麗なだけでは、空手ではなく「演舞」になってしまうのだ。

世界レベルの女性空手家の動きは、速さと切れ味と威力に満ちている。

そこまで至るには、何万回何十万回それ以上の、過酷な稽古の道程があっただろう。


≪NO:393「空手道」に、YOUTUBE映像のリンクがあります。≫

「豊見城あずさ」さんは、劉衛流空手だ。

「ビル・シスターズ」は、松濤館流空手だ。

彼女たちの背後に、野性のスピリットを感じる。

動きだけでなく、そこにスピリットを感じるのである。

実際、狼はこのような雰囲気の動きを見せることがあるのだ。

もちろん狼は、状況に応じて変幻自在にさまざまな動きをするが、

全体的なイメージとしては、このような感じと言ってもいい。

実は狼は、さらに数段速いし、跳躍スピードも人間とは比較にならない。

だが、それはそれとして、人間がここまで表現できることに感動するのである。

心から達人たちの演武に感動し、涙するのである。


■南無華厳 狼山道院■