
私が何故に「野性の動き」に興味が深いかと言えば、
「動き」は野生界で生死を分ける問題であるからだ。
狼の動きを理解できれば、狼に捕食される草食獣の能力や心境が理解できる。
草食獣は、時に狼の動きでさえも見切らねばならないのだ。
草食獣は、時に狼の底知れぬ眼力とも対峙せねばならないのだ。
草食獣は、時に狼のアタックからも逃れる力を備えているのである。
だから、野生の草食獣たちもまた凄いのである。
野生の草食獣たちの「気力」も凄いのである。
狼の眼力に呑まれたら、瞬時にそこで動けなくなる。
気力が萎えれば身体は金縛り状態となり、フリーズするのである。
だから草食獣たちは、全気力を振り絞って生きる可能性に挑むのである。
どんな身体能力を持っていても、気力を失えばそこで終わるのである。
人間は「道具」を使って自分は無傷のままに容易に獲物を倒すが、
だから野生動物たちの「美しき力」に触れることさえ無いだろうが、
人間が彼らの「神技の芸術」から学べることは無尽にあるはずなのだ。
狼の動きは凄い。
その動きの、ほんの片鱗を見てきただけだが、
その片鱗だけでも驚異であり感服であった。
もし狼が本領を発揮したならば、
それはもはや異次元の動きであることが分かる。
<とりわけ驚異は、その「反応速度」である・・・>
昔に満州から帰還した人の話だが、満州狼が人間の頭上を軽軽と跳躍したと言う。
兵士たちは凍りつき、ただ狼が飛び交う姿を見ながら茫然としたと言う。
狼は兵士たちの沈黙を見て、そのまま走り去ったと言う。
あるいは昔昔、山中で日本狼と遭遇した剣士が、ついに抜刀できなかったと言う。
狼と対峙するも凍りつき、刀を抜くこともできなかったと言う。
狼は剣士のその沈黙を見て、そのまま立ち去ったと言う。
私は実感として、ありありとその光景が見える。
狼の本気の気迫は、人間の想像を超えているのだ。
私は時に、空手の形の演武に、野性の動きを垣間見る。
元元、ヨーガや武術は「動物の動き」を参考にしていると思われる。
あるいは、それをイメージして自らの動きを磨き続けてきたと思われる。
古人たちはおそらく、動物の動きの凄さを理解する力を持っていたのだろう。
だが現代人は、「野性」を手本にするとかの発想を無くしている。
というか、そういう殊勝な気持ちを失っているのだろう。
人間が動物に学ぶものなど「あるわけが無い!!」と思い込んでいるのだろう。
だが稀に、野性に近づいた雰囲気の「凄い動き」に出逢うことがある。
そのような達人は、気持ち的に野性と一体になっているような気がする。
世界レベルの達人の演武だから、普通の動きとは比較にはならないが、
人間の動きの可能性として、ただただ「凄い!!」と感服する。
<これは自分の個人的イメージであり、「感想文」である・・・>
これは自分の主観だが、
空手で言えば、女性空手家の「速さと切れ味」に驚く。
映像でさえそう感じるのだから、実際にはその何倍も凄いだろう。
<カメラ速度が、動きの速さに追いつかない場合が多い・・・>
男性の場合には「重い威力」が凄いが、女性の速さと切れ味も凄い。
もちろん男性も速いが、「動きの質」として女性特有の切れ味を感じるのだ。
だが世界レベルともなればもちろん、そこには大基本が生む「威力」が存在する。
そこに威力が存在しなければ、それは空手とは呼べないし、達人とは呼ばれない。
ただ速く華麗なだけでは、空手ではなく「演舞」になってしまうのだ。
世界レベルの女性空手家の動きは、速さと切れ味と威力に満ちている。
そこまで至るには、何万回何十万回それ以上の、過酷な稽古の道程があっただろう。
≪NO:393「空手道」に、YOUTUBE映像のリンクがあります。≫
「豊見城あずさ」さんは、劉衛流空手だ。
「ビル・シスターズ」は、松濤館流空手だ。
彼女たちの背後に、野性のスピリットを感じる。
動きだけでなく、そこにスピリットを感じるのである。
実際、狼はこのような雰囲気の動きを見せることがあるのだ。
もちろん狼は、状況に応じて変幻自在にさまざまな動きをするが、
全体的なイメージとしては、このような感じと言ってもいい。
実は狼は、さらに数段速いし、跳躍スピードも人間とは比較にならない。
だが、それはそれとして、人間がここまで表現できることに感動するのである。
心から達人たちの演武に感動し、涙するのである。
■南無華厳 狼山道院■