
「カン:悍」という家族がいる。
紀州犬に似た柴MIXの犬だ。
もうすぐ13歳だが、元気満満だ。
彼のそばに、たまに白い光が訪れる。
その光が来ると、カンの顔が変わる。
遠い目で、ただただ厳かに厳かに、その光を見つめる。
その光は、彼の母犬の「夕月」だと感じる。
彼の様子を見ていれば、その光が特別な存在であることが分かるのだ。
夕月・・・胸に熱い慕情が込みあげる。
夕月・・・我が子を救うために、自らの命を賭けた偉大な母。
夕月・・・小さな身体に不撓の精神を秘めた最愛の我が子・・・・・・
カンが、心で泣いている。
母への想いで、心で泣いている。
普段の彼が、そんな表情をすることなどは無い。
それは彼の、特別な感情の顔だったのだ。
その顔を見ていれば、我が胸もたまらなくなり、涙が落ちる。
やがて、その白い光が消えてゆく。
カンはまだ厳かな姿勢のままで、はるかを見つめる目で、そこに佇んでいる・・・・・
だが彼は、後追いはしない。
ぐっとこらえて、光を見送っている。
己自身の、今生での使命が残っているからだ。
いろんなことがあった。
この長い歳月の中で、悲しいことも、いっぱいあった。
忘れようにも忘れられない、心に刻まれた一瞬一瞬。
森の中で、地に伏して泣いた。
血の出るほどに拳を握り締め、声をあげて泣いた。
この自分がどんな苦行を背負ってもいい、この子の命が戻るなら・・・・・
張り裂けそうな胸に亡骸を抱きながら、天に祈った・・・・・
そのような歳月を辿ってきた。
そのような歳月の中で、私は教えられた。
命のことを。生きることを。死ぬことを。命の行方のことを・・・・・
森に坐って瞑目する。
過ぎし日の一瞬一瞬が、まるで今この瞬間のように蘇る。
微塵も色あせず、微塵も輝きを失わず、鮮烈に今に蘇る。
あの一瞬は、死んではいないのだ。
あの一瞬一瞬は、永遠の中に刻まれているのだ。
それが分かる。それがありありと実感できる。
過去を引きずる意味では無い。
過去に囚われる意味では無い。
想い出に縛られる意味では無い。
想い出に彷徨い続ける意味では無い。
そのような意味とはまったく違う意味だ。
想い出の中に生きるという意味とは違うのだ。
あの一瞬一瞬は、その瞬間に永遠へと昇華した。
あの一瞬一瞬に、真実が秘められていたから。
その真実が、永遠となったのだ。
真実は一切の枠を超えて無限となり永遠となる。
願望で話しているのではない。
夢想を話しているのではない。
言葉にすると観念的になってしまうが、これは観念では無い。
観念で語ることなどできない世界なのだ。
これはあくまでもどこまでも実感の世界なのだ。
命に終わりは来る。
人はそれを儚いと言う。
だが真実に終わりは無い。
命の真実は、永遠の中に刻まれる。
それを心で知ることが、生きるということか・・・・・
命の真実を心から感じることが生きるということか・・・・・
たとえ何十年であったとしても、それが何日であったとしても、
いずれにしても大宇宙のスケールからすれば「極微」の世界である。
いずれにしても極微短の時間なのである。
つまり、時間の長さでは無いのである。
つまりは一瞬一瞬の中に秘められた真実なのである。
・・・極 大 極 微 念 劫 融 即・・・・・・
何十年であろうと、何日であろうと、真実の重さに変わりは無いのだ。
たとえ何日間であろうとも、その瞬間の真実は、大宇宙に燦然と輝いている。
命の真実は大宇宙に刻まれ、はるか永遠に輝き続けるのだ・・・・・
一瞬一瞬の中の真実を信じて生きる。
動物たちはみんな、そのように生きている。
だからこそ彼らは命の力に満ちている。
命尽きるまで、全身全霊で、命の炎を燃やし続ける。
それを信じることが、自らの生命力を支えているのだ。
今は亡き我が家族たち。
私は今でも、彼らと共に生きている。
私はいつでも、彼らと逢うことができる。
彼らの鼓動を感じる。我が胸に彼らの鼓動を感じる。
たとえ彼らが宇宙の彼方の異次元世界にいようとも、
我われはいつでも瞬時に逢うことができる。
はるかな距離を超越して。はるかな次元を超越して。
それが我われの絆の真実だ。
もしそれが偽りの絆だったら、逢えないだろうが・・・・・
今は亡きみんなが教えてくれたのだ。
彼らが、その命のすべてで、この私に教えてくれたのだ。
かえで!!かえで!!お前の鼓動を感じる。
お前が教えてくれた命の真実が、この胸に刻まれている。
かえで・・・お前は今、光に満ちた世界にいるね。
お前は、その心そのものの世界にいるね・・・・・
命はこの世を去り、「心そのものの世界」に旅立つ。
今は亡きみんなが、それを教えてくれた。
心そのものの世界・・・この大宇宙に、それがあることを・・・・・・
南無華厳・・・南無華厳大悲界・・・・・・
■南無華厳 狼山道院■