
以前にも書いたが、「全身力」は有効だ。
いろんな試練を乗り越えていくために、全身の力を集結させる。
足指から足裏から踵から足首から膝から腰から背中から首から肩から肘から手首から指先まで。
その全てが一塊になって「ひとつの力」となって爆発する。
その部分その部分だけの力など実に非力だが、
それらが一塊となって合わされば、大力となる。
「ひとつの力」とするためには、そのための「合理の動き」が求められる。
その「合理の動き」を知るのに、武道が参考になるはずだ。
武道は長久の歳月に亘り、その動きを探求してきたはずなのである。
自分が武道を語るなど僭越至極であり、誠に恐縮の極みだ。
だが、武道のエッセンスは多方面に亘って活かされるべきと思っている。
実際それは、日常のあらゆる場面に活用できるはずなのだ。
だから武道界だけに仕舞われていたら、この上なく勿体無い。
だから機会あらば自分の知っている範囲で紹介したいと考えてきた。
<自分の体験は三十年以上昔の話だが、感覚は覚えている・・・>
たまに空手の映像を観るが、感嘆する。
ある部分は停滞したようにも感じるが、ある部分は進化したと感じた。
近頃よく観るのは「形」だが、レベルが凄い。
ヨーロッパ空手のレベルの高さにも驚いた。
「空手の精神」が世界に渡れば、武道冥利に尽きると思う。
武道とは、本家がどうの本元がどうのなど、そんな狭量世界ではないのだ。
ところで、「形」を莫迦にする人がいるようだ。
だが実際に修行してみれば分かるが、形は途轍もなく難しい。
上に書いた「足指から・・・・・・指先まで」という身体の全ての部分が重大だ。
その全ての部分が理想形で働かなければ「形」にはならないのである。
だから一見上手そうに見える人でも、達人と較べれば一発で違いが明らになる。
<自分はヘタだったが、凄い人の凄さは分かる・・・>
なぜ理想形で動作しなければならないのか??
理想形による合理の動きでなければ、全身力を爆発させることができないからだ。
究極の全身力を爆発させるために、理想形で動くのである。
「形なんて、実戦には役立たずだろ??」と考える人が多いようだが、
形とは本来、実戦のための基本力を鍛錬する手段だと思う。
どんな時でも重大な基本力を発揮するための鍛錬である。
もちろん実戦で形の動作をそのまま通用させる意味ではなく、
その動作がそのままで再現されるのではなく、
しかし形のその「エッセンス」が一瞬の中に閃くと思うのである。
その一瞬の中にエッセンスを発現させるために、練磨が必要となるのである。
<もちろん、実戦での構えは自然体に近くなるはずだ・・・>
「形」にはいろんな役割が潜んでいる。
ひとつに、基本姿勢・基本動作の徹底的な修練がある。
それが無ければ、本当に威力のある「本物の突き蹴り」は生まれない。
空手と呼ぶからには、実際に倒せる威力を持たなければならないのだ。
倒せるだけの威力を持った「突き蹴り」に到達するのは相当に至難だが、
その威力を持っていないと、つまり無様な踊りに見られてしまう。
それはなんといっても格好が悪い。まさに無様だ。
そうならないために、どんな時でも本物の威力を出せるように基本を徹底する。
だがこれはまったく地味で地道な訓練だ。それが延延と続く。
だがそれを続けた暁には、どんな場面でも本物の突き蹴りを出すことができる。
「形」はひとつに、そのような意味を持っている。
あるいは形は、重大な「呼吸」を会得するためにある。
武道に必須の「呼吸」は、教えられて会得できるものではない。
だが形の中に、それを会得できるヒントが隠されているようだ。
だから延延と形を求道する中で、次第に呼吸を掴んでいく。
そして形は、空手の深奥の精神を実感するためにある。
それを果てなく練磨していけば、いつか空手精神を実感できると思うのだ。
「空手は組手してなんぼ・・」と思われるかも知れないが、組手と言えども実戦ではない。
それがどんなルールであろうとも、あくまで試合であり実戦とは違う。
それがもし実戦ならば、相手は一人とは限らないのである。
一人相手に専念して組み合っている場合では無いのである。
そんなことをしていれば、すぐに他から殺されるだろう。
だからこそ空手には「一撃の威力」が求められるのだと思う。
因みに空手の本来の突きがヒットすれば、ただの怪我では済まない。
そんなことは考えれば分かることだが、身体がいくつあっても足りなくなる。
試合するたびに、身体が壊れて身障状態となっていく。
近年、いろんな試合形式が試されているようだが、どこに落ち着くのだろうか。
そもそも「試合」で、本来の技を表現できるだろうか。
空手本来の、間合いから一瞬に突破する重く鋭い閃光の突きが見られるだろうか。
空手の本領を生かす組手試合など、本来的に困難だと思うのだが。
ただ、試合によって「相手と対峙する」という感覚は養えると思うが、
それとて真に緊迫する試合でなければ逆に弊害となる怖れもあるだろう。
だから、空手の組手試合は本当に微妙な問題を抱えていると思うのだ。
<稽古での組手でさえ、怪我が絶えないのだ・・・>
<顔面への突きなど怖ろしく速いから、無事でいられる確率は少ない・・・>
「形」はもちろん、型に納まってはいない。
形はそれぞれの空手家の、それぞれの「表現の形」である。
そこにはそれぞれの世界がありそれぞれの宇宙がある。
※以上は、あくまでも個人的な私観である。
あくまでも自分の空手観に過ぎないので御諒承願いたい。
::世界ランクのボクサーの全身力と反射感覚も凄い。
たとえば「全盛期のタイソン」は、まさに人間離れしていた。
ヘヴィーウェイトにしてあの速さ。あの突破の速さと全身力。
タイソンはヘヴィー級に於いては身体が小さいから、
全身力を発揮しなくては大男たちを倒すことなどできなかっただろう。
あの身体サイズでああまで見事に倒せたのは、まさしく全身力の賜物だろう。
ところでタイソンの「トレイニングビデオ」は今でも人気があるようだ。
そこに映る彼の身体感覚は異常とも思えるほどだ。
ボクシングのスーパースターは何人もいるが、
最近では「フロイド・メイウェザー」が大人気のようだ。
世界レベルの超一流選手相手にああまで華麗にヒットできるのは凄い。
もちろん、ディフェンスも天才的だ。
彼のトレイニングビデオも実に興味深い。
全盛期の「ロイ・ジョーンズ」も凄かった。ケタ違いの運動感覚だった。
彼らスーパースターは、人間というよりも野性の反射力に近いものを持っている・・・・・
≪NO:393「空手道」に、YOUTUBE映像のリンクがあります。≫
※彼らの演武に、空手禅、武道禅を、感じます。
※組手試合・組手稽古の映像は、松濤館流です。
顔面への上段突きの場合にはヒットの寸前へと照準しますが、若干は当たります。
素面の顔面ですから、もちろん若干当たっただけでも衝撃はあります。
「寸止め」という言葉ですと「萎縮された突き」に勘違いされますが、
「極め:kime」の突きは、そのようなイメージとは全く異なります。
もしその突きをヒットの位置に照準したら、当然ながら怪我では済まなくなります。
顔面を狙われるのは、なにしろ怖いものです。
なにしろ「突き」はロケットのように飛んできますから。
※ボクシングでも、この間合いからの攻撃を見ることがあります。
スーパーボクサーのその果敢なアタックは、野性の動きに似ています。
□Mike Tyson Training Highlight Reel 1
□Mike Tyson Training Highlight Reel 2
□Mike Tysons Top10 Best Knockouts
□Incredible Floid Mayweather Jr Training Tribute
□Floid Mayweather Jr Greatest Hits
□Floid Mayweather Jr. Dancing With The Jump Rope
■南無華厳 狼山道院■