<2010年8月18日>

犬を飼う以上、「散歩」の日課が付いて回る。

その日課は、犬と主人とのハイライトである。

犬と主人がひとつになって、「外界」に探検に行くのである。

まさに「EXPLORER」なのである。

その時の犬の気持ち・・・想像すれば分かるはずだ。

犬は「その時」を夢見て、一日中待っているのである。

まず、その気持ちを分かってあげたい。


だが、「散歩」で悩む飼主が多いらしい。

なにせ毎日毎日続く日課だから、

そこに問題があれば、飼主も仕舞いには嫌気が差してくるだろう。

そうなれば主人も犬も両方が不幸になる。

そうならないために、なんとかしなくてはならない。


散歩時の犬の心境の中には「喜び・興奮・興味・警戒・使命感」などが詰まっている。

まず、そういった気持ちが折り重なって詰まっていることを、深く認識しておく。

そこにそういった気持ちが詰まっていることを知っておけば、対応策が浮かんでくる。

犬の気持ちを知らずに「マニュアル」に頼っても、いずれどこかで限界が訪れる。

どこかで限界が訪れ、その飼犬に対する失望と不信感が渦巻くことになってしまう。

だが知っていれば、対応策が浮かんでくるはずなのだ。

咄嗟の時にも、予期せぬ出来事の時にも、落ち着いて対応できるようになる。

そして余計なアクシデントを回避できるようになる。


いったい、その犬の心境とは・・・・

何故そのように行動するのか??

何故そのように行動したがるのか??

主人の指示が聞こえているのか??

聞こえていながら、我を押し通そうとしているのか??

それとも主人の指示が聞こえていないのか??

夢中になっていて、主人の声も聞こえないのか??

あるいは主人の指示など眼中に無い状態なのか??

その犬ひとりで独行状態の散歩になってしまったのか??

その犬は、ひとりの独行散歩に魅力を感じるようになってしまったのか??

その犬はまだ、「主人と一体化して進む散歩の醍醐味」を知らずにいるのか??

あるいは本能に在るはずの「掟」の一文を忘れてしまっているのか??

あるいは、あまりに主人が「とんちんかん」なので失望してしまったのか??

いつもいつも「リーダーとしての主人」を願い続けていたのに、

ついにそれが理解されなかったゆえに独行を選んでしまったのか??

あるいは、あまりに変化に乏しい散歩内容の毎日に嫌気が差してしまったのか??

元気満満でエネルギーが溢れているのに、それを消化できずに爆発寸前なのか??

人間の遅い遅い歩調で進む単調極まる散歩に、ついに哀しくなってしまったのか??

あるいは、もっと存分に「匂い情報の分析」を遂行したかったのか??

その分析は、それは本来の重要な勤めだから、どうしても実行したかったのか??

あるいは、どこかの誰かに、どうしても挨拶しなくてはならなかったのか??

それが約束だったのか?? その仁義を守りたかったのか??

あるいは犬として、本能に潜んだ任務の声を無視することができなかったのか??

その声が日増しに大きくなって、いても立ってもいられなくなったのか??

あるいは、なにをやっても叱られて、もうどうしていいのか分からなくなったのか??

などなどなどなど・・・・・・・・


犬の心の中には、さまざまな心境が湧き起こる。

さまざまな「葛藤」も湧き起こる。

それを心観し、主人として主導していくための対応を素早く実践していく。

<犬は葛藤の中に立たされていることも多いから、その葛藤を断ち切ってやることも重大だ・・・>

だが、ただ機械的にリードしても、ただ支配的にリードしても、

その犬が得心していなければ、それは本来の「リード」ではなくなる。

それは、その場を取り繕う「仮の姿」に過ぎないのだ。

あるいは、主導する力に欠ける飼主が、犬ばかりを責める場合が多い。

だが飼主にとって都合が悪いからといって、犬を責めてばかりでは、そこで終わる。

そこですでに、その飼主はリーダーとしての主人の座を放棄しているのだ。

犬の行動を「悪い方」にばかり解釈し、誤った詮索に染まり、つまり錯覚に陥る飼主も多い。

その行動を「飼主に対する支配行動の兆候である・・」と説明する人も多いようだが、

犬はそう簡単に「主人を支配下に置く」などという「野望」を抱いたりはしない。

今まで数え切れないほどの犬たちと付き合ってきたが、

実にさまざまな種類の猛犬種たちとも付き合ってきたが、

そんな野望を向けてくる犬にはお目にかかったことが無い。

それに近い傾向に至ってしまった犬の世話を依頼されたことは何度かあったが・・・・

だがその犬たちも、しばらくしてそのような傾向を捨てたのであった。

もしそのような野望を抱くとしたなら、深い理由が隠されているはずだ。

普通ならそんな野望は抱かなくとも、そこに深い事情があれば話は別だろう。

<中には精神失調の場合もあるだろうが・・・>

多分多くの場合、その飼主の側に何らかの問題が隠されていると思われる。

多分その飼主が思い描く「リーダー像」が、

あまりにも「本来のリーダー像」と懸け離れているのではないだろうか。

飼主の思い描く主人像と犬の思い描く主人像のギャップが大きければ、調和から遠ざかる。

いくらリーダーシップを執るといっても、理不尽では長続きはしないのだ。

あるいは、まるでリーダーシップに欠けていれば、犬がそれを引き受けざる得なくなる。

だからこそ「真の主人像」を常に追求していかなくてはならない。


なかには、生来的に自然体で愛犬と調和できる人がいる。

そういう人は感覚で「分かる」から、自分で方向性を見出せる。

「しつけ教室」を渡り歩くこともなく、「しつけ本」を買い漁ることもなく、

愛犬から学び、愛犬と共に模索し、愛犬と共に成長し、愛犬と共に調和する。

そういう人は感覚で、

「やってはまずいこと・・やらなくてはならないこと・・」などが分かるのだろう。

形式化された教則に縛られずに、自然体で柔軟な自由自在な散歩ができるのだろう。

毅然と厳しくすべき時。烈しく叱咤すべき時。

大らかに大目に見る時。少し解放を与える時。存分に解放してあげる時。

指令の手段。指令のタイミング。指令の呼吸。などなどなど。

そういったことが自然に判断できる人がいる。

だがもし、それが不得手な飼主だったら、エキスパートから指導を受けるべきだろう。


まず、本来の犬の歩調は人間よりも遥かに速い。

本来なら人間よりも2倍3倍の速さで犬は歩くのである。

だから人間と一緒の歩調で歩くということは、非常に不自然な歩行なのである。

非常に不自然だから、それは非常に大変な歩行なのである。

人間で言えば、元気な若者が杖を頼りの高齢者の歩調に合わせるようなものだろう。

それが最初から最後まで続き、そして毎日続くのである。

それを続ける犬たちは、実は本当に凄いのだ。

そして犬たちは、本当なら一杯一杯やりたいことがあるのだ。

一日の中で唯一外界に出られる限られた僅かなひと時に、やるべきことが沢山あるのだ。

だが犬たちは、それを我慢しているのだ。

その犬の心境を、その犬の我慢と協調心の凄さを、認識すべきだと思うのだ。

その犬の、飼主を立てる健気を、飼主への愛を、知るべきだと思うのだ。

それを知っているかいないかで、散歩世界が変わる。

それを知った上で、その上で制御するのと、

それを知らずに「当然のこと」として傲慢に制御するのとでは、世界が全く違ってくる。

その「主人の心境」は、確実に犬に伝わっているからだ。

犬は他愛なく天真爛漫でいるが、無意識の内に鋭くそれをキャッチしているのだ。

意義を秘めた制御と、傲慢な制御とでは、天地の違いがあるのだ。

だが現実には、「当たり前!!」と思っている人が多いようであり、残念だ。

当たり前では無いことに、気付いて欲しいのだ。


たとえば、歩行散歩とは別に、

広いドッグランで存分に躍動させてあげられるなら、話は変わってくる。

だが多くの場合に、日常の中ではそれは無理に近いだろう。

ほとんどの場合は、歩行散歩だけが唯一の運動になっているはずだ。

だからこうして書いてきた次第である。

多くの人が、犬が本気になって縦横無尽に躍動した時の姿を知らないと思う。

犬が本気になって縦横に疾走する姿を見れば、

「人間速度の歩行散歩」が如何に不自然かが分かるはずなのだ。

世間では、不調になる犬が多いと聞く。

肥満問題も多いらしい。体質弱体化も多いらしい。

それらは当然だと言える。

犬は人間以上に、躍動して健康を保つ生き物なのだ。

<ここで言う躍動とは、心と身体の両方の躍動を指している・・・>

その根本を無視して、いくら薬理に頼っても、本来の健康など得られない。

多くの飼主が獣医的知識を自慢するが、それは後手後手の発想に過ぎない。

一番の理想は、強い身体に育て、強い身体を維持していくことなのだ。


なかには「野生の群れに於いては・・」と説明する人も多いが、

だが動物たちの行動の中には、掟を離れた情緒行動もあることを知って欲しい。

動物たちは、掟だけで行動する訳ではないのだ。

というよりも、彼らの掟は見える部分だけで成立している訳ではないのである。

彼らの掟とは、そんな浅薄なものではないのである。

時には「演技」を楽しむこともある。

時には「わざと!!」の行動もある。

彼らはその「わざと・・の演技」を暗黙に了解して遊ぶ場合も多いのだ。

もちろん度を越えて羽目を外せば厳しく叱られるに決まっているが。

彼らは人間が想像しているほど単純では無い。

いや、想像よりもはるかに深い情緒の持ち主なのだ。

それを知った上で、それを承知した上で、その上での制御であって欲しいのだ。

そうすれば、「散歩」も格段に深みを増していくだろう。


ただし、その歩行散歩であっても、大変な日課である。

それを続ける飼主には、心から敬服する。

そこに飼主の真摯な誠意と愛犬の喜びを、確かに感じる。

里に降りれば、運転中にそのような愛犬散歩の光景を目にする。

その絆の姿を通りすがりに見つめる時、いつも一心に祈っている。

なにしろ、その歩行散歩さえも怠る飼主が多いのだ。

その怠慢な飼主に較べれば、それを続ける飼主のなんと立派なことか。

今日の記事は、それを踏まえた上で、あえて書いた次第である。

犬に対する飼主の思いやりに感謝しながらも、実像を知ってもらいたかったのである。


■南無華厳 狼山道院■