

















茜と椿は、捨て犬だった。
6年前、別荘地の野原で、ダンボール箱に入っていた。
まだ、生後40日手前の赤ちゃんだった。
私は彼女たち姉妹を、終生の家族に迎えた。
「あかね」「つばき」と名付けた。
可愛い可愛い、MIXの女の子たちだ。
この6年間、いろんなことがあった。
彼女たちは多くを学び、立派に成長した。
茜と椿は姉妹でも、異なる個性に満ちている。
その異なる個性がそれぞれに、懸命に学んできた。
時には私に厳しく叱られることもあったが、健気に頑張ってくれた。
茜と椿は、どんな時でも私を父と信じてくれたのだ。
彼女たちは、ちょっと不思議な感覚の持ち主だ。
今まで、いろいろ不思議なことがあったのだ。
それから彼女たちは、私の意思がほとんど分かるようだ。
いつもいつも、とにかく私のことをジッと見詰めている。
彼女たちは言葉を「言語」としては聞いていないが、
明らかに言葉から「意思」を読み込んでいるようなのだ。
「そこに座りなさい・・・」
「そこで待ってなさい・・・」
「まだだよ・・・」
「もういいよ・・・」
「それは駄目だよ・・・」
「その奥へ行っちゃだめだよ・・・」
「こっちに戻りなさい・・・」
「おうちに入りなさい・・・少し休みなさい・・・」・・・・・
「あかね、楽しいね!! つばき、楽しいね!!」と手を広げれば、大喜びで身をくねらせる。
「あかね・・・ つばき・・・」と低く叱咤すれば、シュンとして肩をすぼめて正座する。
「分かったね・・・ もういいよ!!」と言えば、すぐに笑顔に戻る。
たとえばこんなような会話をしているのだが、彼女たちはすべて分かっているようだ。
ただし、分かっていても、ときどき「いたずら心・・」を出す。
分かっていても、わざとそうして私と遊んでいるのだ。
娘たちが、お父さんと遊びたい!!と言っているのだ。
その気持ちを冷たく突き放す訳にはいかないだろう。
だから大抵の場合は大らかに見ているが、もちろん緊急な場面では厳格に命令する。
「あかね!!つばき!! いい加減にしろ!!!」と言えば、即座に従うのである。
私は彼女たちを擬人化したりはしない。
あくまでも「犬」として見ている。
犬として尊敬し、犬として愛し、犬として「我が子」なのだ。
私は彼女たちに「人間」を求めたりしない。
彼女たちは犬という素晴らしい命なのである。
だから擬人化の必要など微塵も無いのである。
彼女たちは、私の行動のすべてを見詰めている。
私が家族の誰かを強く叱咤すれば、彼女たちは心配の眼差しで事態を見守る。
その時その誰かがその指導の意味を理解することを彼女たちは願っている。
私が気持ちを鎮めて「いいかい・・分かったね!!!」と指導を終えれば、笑顔に戻る。
彼女たちは自分が愛されることばかりを考えているのではなく、
家族みんなの調和を願っているのである。
茜と椿は、私のことが大大大好きだ。
そして家族みんなを平等に愛そうとする父のその心が大好きなのである。
もし茜と椿だけを可愛がったとしたら、それでも喜びを表現するだろうが、
その心の奥底はきっと悲しみ色に染まるだろう。
森を離れていても、いつもみんなの姿が心に浮かぶ。
きっとみんなの心にも、私の姿が映っているだろう。
たとえ離れている時も、我われ家族の心はひとつだ。
■南無華厳 狼山道院■