<2010年7月30日>

動物と暮らすとき、「感覚」が求められる。

さまざまな状況に対応するために、それが重大となる。

たとえ「知識」を持っていたとしても、感覚が鈍感だと対応できない。

たとえ対応策を勉強しても、そこに感覚が欠けていれば意味を成さない。

感覚とはそれほどに重大だが、それを教えてもらうことはできない。

それは自分で練磨し、自分で深めていかねばならない。


犬に関するアクシデントを耳にすることが多い。

「犬同士のアクシデント」の話もよく聞く。

飼主の「知識不足」が原因の場合もあるようだ。

飼主の「注意不足」が原因の場合もあるようだ。

あるいは「技量不足」が事故を大きくする場合もあるだろう。

だが「不可抗力」の場合も、もちろんあるだろう。

なにせ犬の動きは速いし、その行動の予兆を見抜くのは難しい。

そしてそこには目には見えない複雑な事情が隠されている場合も多い。

だからアクシデントが起こったからと言って、第三者が安易に批判する筋合いは無い。

だがひとつだけ言えることは、

そこに感応感覚が発動されていれば、大抵のアクシデントは防げるということだ。


犬の心境を感知する感覚を磨く。

犬の行動を予測する感覚を磨く。

心境が感知できれば、次の行動が予測できる。

行動が予測できれば「機先を制す」ことができるのだ。

犬が行動に移ってしまってからでは遅すぎる。

犬が次の行動に移る手前でそれを制御するのだ。

次次と機先を制して「流れ」をリードしていくのである。

だから犬のその時の心境を、本物の真剣さで洞察していく。

犬の心境を感知する感応感覚が、瞬間瞬間の洞察を可能にするのである。


「犬への想い」が、感覚を練磨する。

「本物の想い」が真剣の心構えを生み、「集中力」を発揮する。

その深い集中力によって、感覚が研ぎ澄まされていくのである。

それを日日続けることによって、さらに感覚は研ぎ澄まされていくのである。

つまり「想い」こそが、犬の心境を感知する感応感覚を育てる。

犬への本物の想いこそが、行動を予測する洞察力を導くのである。

あとは、「対応技量」である。

だがその「想い」と「集中力」があれば、技量もおのずと成長する。

どのように対応すれば良いのかが、おのずと分かってくるのである。

犬への想いが本物ならば、真剣に想っているならば、技量も必ず深化するはずなのだ。


「大袈裟」に聞こえるかも知れない。

犬を飼うのに、そこまで考えるの?? と疑問視されるかも知れない。

だが、アクシデントはそこらじゅうに潜んでいる。

それを未然に防いでいくのは、想像以上に大変なことなのだ。

とくに小型犬の身体は華奢だから、ちょっとの衝撃でも大事故となる。

そうなれば取り返しがつかない。

だから未然に防いでいくしかないのである。

そのために飼主は、己の感覚を磨いていく必要がある。

犬を「しつける」だけでなく、それと同時に己も磨くのである。

だが「感覚」は、人から教えてもらえるものではない。

知識や技術は人から学べるが、感覚だけは人から学べない。

だから自分で練磨していくのである。

犬への想いが、それを可能にする。

<左目次「ドッグラン」を御参考ください>


■南無華厳 狼山道院■