<2010年7月15日>

NPO法人:「ワニガメ生態研究所」という保護施設がある。

荻野さんという所長が独力で、

飼育放棄された「ワニガメ・カミツキガメ」などを保護飼養してきた。

その専門知識と並並ならぬ努力で、不遇なカメたちを救ってきた。

その施設も入念に配慮されており、毎日の管理作業も確実に励行されているようだ。


だが今回、その荻野さん経営の会社が諸般の事情で倒産してしまったという。

保護施設の運営は当然、自分の会社からの「給料」で賄われていたはずだから、

「ワニガメ生態研究所」は断崖絶壁の上に立たされてしまった。

荻野さんはその心境を自身のブログで語っている。

実際、叫びだしたいほどの切迫感だろう。

その胸中は、誰にも想像できないほどに辛いだろう。

だが荻野さんは、気丈に立ち続けている。

私もそのような危機に何度も立たされてきた。

だから荻野さんの気持ちが痛いほど分かる。

だが私には力が無い。荻野さんをサポートできる力が無い。

情けない話だ。困っている「同志」を助けられない自分が情けない。

荻野さんとは面識が無い。ブログを読んだだけだ。

だがそこから確かに、何かが伝わってきた。

この人の情熱は本物だと、そう感じた。

この人は本気なんだと、確かにそう感じたのだ。

たとえ、もし些細な部分が異なろうとも、そんなことはどうでもいい。

根本の部分で共感できるならば、それこそが重大だ。

そこで共感できたから、荻野さんを同志と感じたのだ。


荻野さんは、きっと乗り越えるだろう。

荻野さんが今まで救ってきた命たちが、必ず荻野さんを助けてくれる。

私は今まで理屈を超えた不思議を体験してきた。

命たちは、目には見えない力で、不思議な力で、荻野さんを支えてくれる。

ワニガメたち!!! きみたちの深秘の力を見せてやれ!!!みんなに!!!

※ワニガメ生態研究所「ブログ」 <http://wanigame.exblog.jp


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PS:

世間の常識としては、「自分のできる範囲で・・・」「自分の生活の許容範囲で・・・」

そして「絶対に自分の能力の限度を超えてはならない!!」という意見が圧倒的だ。

そんなことは誰だって、誰に聞かなくとも分かっている。

そんなことは、子どもだって分かっている。

そんなことは、頭で考えれば、瞬間に答えは出ることだ。

だがなぜに、限度を超えて何かに挑まなくてはならなくなるのか???

「だがなぜに・・・」・・・ここが、世間の理解の範疇を超えてしまう部分だ。


古人の言葉に、

≪・・かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂・・≫とある。

<最後に「大和魂」とくるので、いろんな意味で誤解を受けるだろうが・・>

<だからその部分を、それぞれに言葉を置き換えて当てはめてみればいいと思う・・>

≪・・こうすればこうなると分かっていても、やむにやまれぬことが、この世にはある・・≫

たとえば「動物擁護」に於いても、

今のような時代となるまでには、多くの先人たちの血を吐くような尽力があった。

その先人たちの多くは、当時の世間の理解を得られぬ中で、己の人生を擁護に捧げた。

自分の人生が破滅に向かう足音を聞きながら、それでも擁護を諦めなかった。

そのような先人たちの自己犠牲があったからこそ、今の段階にまで到達したのだ。

もしその先人たちが、

「ほどほどに、無理の無い程度で、生活を大事にしながら・・・」というスタンスだったら、

現代の世論は今のこのレベルにまでも至っていなかっただろう。

確かに理屈で考えれば「自分の生活あっての動物擁護」となるが、確かに仰る通りであるが、

何かの事情でその域を超えてしまった擁護家を、ただ非難するだけでは酷な話だ。

非難する人の中には同じ動物擁護家の人も多いようだが、

その人たちは「先人たちの心境」を知っているのであろうか??

まさしく先人たちは「かくすれば・・・・・」の心境だったはずだ。

本来ならば、先人たちの心境を知った上で、その上で悪戦苦闘の擁護家を見るべきだと思う。

「お気持ちは察します。でも生活基盤も大事にしてくださいね・・・」と見るべきだと思う。

それを最初から全否定の姿勢で非難する風潮が、私にはどうにも理解できないのだ。

「バカだ!! ざまあみろ!! 袋叩きだ!!」・・・これでは先人たちが泣くだろう・・・・・


■南無華厳 狼山道院■