
ひとくちに虐待と言っても、程度には差がある。
その程度には差があるが、至極の虐待も存在する。
誰にも耐えられない痛みと苦しみ。
誰にも耐えられない恐怖と絶望。
もしそれが自分だったら、心は粉粉に砕け散るだろう・・・・
しかも娯楽で虐待する人たちが存在する。
それは確かに、紛れも無く娯楽なのである。
娯楽で、虐待する・・・・
信じ難い理不尽が、この世に確かに存在する・・・・・
去年の春に子猪を埋葬した。
その子猪は車に轢かれて死んでいた。
その子を弔い、森に埋葬したのだ。
埋葬する前に、その子の身体を何度も撫でた。
まだ身体は、柔らかかった。
足裏の肉球も尻尾も胴体も鼻も唇も、
身体のすべてが無垢の可愛さに満ちていた。
今もなおこの手のひらは、子猪の幼い柔らかさを憶えている。
森を歩いていると、猪の家族に出逢うことがある。
母猪と子どもたちが、力を合わせて頑張って生きている。
なにひとつ、贅沢などしていない。
ただ、ささやかな家族の団欒をかみしめている。
その想い出は、彼らの心の奥底に潜み続けるだろう。
親子の別れのそののちも、ずっと刻まれているだろう。
それほどに彼ら家族から、深い愛情を感じた。
種の存続の本能だけで家族を構成している訳ではない。
そこには「情」がある。「愛」がある。
それを他の言葉に置き換えることはできない。
それは紛れも無く情緒であり、愛情である。
彼らを見ていると、痛いほどそれを感じる。
なぜか無性に、胸に熱いものが込みあげてくる。
世界のあちこちで「BOAR(猪) HUNT」というレジャーがあるようだ。
世界のあちこちで「HOG(豚) HUNT」というレジャーがあるようだ。
<YOUTUBE>を検索すれば、驚くほど沢山の映像が出てくる。
それを見た瞬間に、全身が燃えるように熱くなった。
心臓が鼓動を打ち鳴らし、身体中の血が泡立つような戦慄を覚えた。
まだ子どもの猪が、
鼻先を二本のワイアーで固く縛られて、二人の男に引きずられながら歩いている。
子どもの猪は、それまでに精根尽き果てるほどに消耗したらしく、ときどき行き倒れる。
激しく息をして、どうかここで赦してください・・と哀願している。
だが当然のごとくに、男たちはそのまま子猪を引きずる。
鼻先を千切れんばかりに引っ張られれば、歩かざるを得ない。
その子猪の後姿が、あまりにも切なかった。
その道は、死出の道だった。
子猪にはそれが、はっきりと分かっていた。
この先に凄惨な死が待ち受けていることを、子猪は知っていた。
四肢を固く縛られる。口も縛られる。
要するに、微塵も動けない。
逃げることもできない。抵抗もできない。
いっさいの動きを奪ったうえで、子猪殺しのゲームが始まる。
格闘型猟犬の群れを、解き放つ。
その闘犬たちが、容赦なく子猪に襲いかかる。
その時の子猪の胸中・・・どれほどの恐怖か・・・・・
子猪は、あらん限りの力を振り絞って、全身を固くする。
つま先から鼻先までの全身を固めなければ、瞬く間に皮膚と肉が引き裂かれてしまうからだ。
死に物狂いで全身を固くする。心臓が悲鳴をあげる。
だがやがて、少しずつ、固める力を失っていく。
そしてとうとう、皮膚が裂け始める。
いったん裂け始めれば、もう終わりだ。
その裂けた部分から一気に決壊が始まるのだ。
我が身が裂かれていく・・・生きながらの地獄だ・・・・・
その様子を、娯楽ハンターたちが笑顔で見物している。
要するに彼らは、その残酷ショーを見て楽しんでいるのだ。
猪や豚が恐怖におののく姿を見て笑うのだ。
猪や豚が苦痛にのたうち回る姿を見て笑うのだ。
なんで・・いったいなんでそんな心境になれるのか・・・・・
確かに、その格闘猟犬たちは獰猛だ。
だがその犬たちが、どうやって育てられたかが問題だ。
娯楽ハンターたちは、いっさい手段を選ばずに訓練する。
そこには温情のひとかけらも無い。冷酷の極致だ。
当然至極だ。なにしろ残酷ショーを楽しむ連中なのだから。
だから彼らは、犬たちに対しても同様に冷酷になれる。
彼らは犬たちに対して徹底的な攻撃を要求する。
そうやって、何代何十代にも亘り連綿と攻撃性を先鋭化させていく。
そして彼らは、その部分に於いて犬たちを狂わせてしまうのだ・・・・・
※なかには「これが格闘猟犬訓練だ!!」と思い込んでいる人間もいるようだ。
だがほとんどの人は誤解している。
そのような残酷な「訓練もどき」などは不要なのだ。
犬にそのようなことを強制させても、ただ過剰な攻撃欲求を煽るに過ぎない。
昔からそのような実態はあったが、今もなお相変わらずのようだ・・・・・
大昔から、古代の時代から、このようなことが行われてきた。
猪や豚だけではない。牛や熊も残酷ショーの生贄にされてきた。
鎖でつながれ、口輪まではめられ、まだ未成獣の子熊が残酷ショーの生贄になる。
あるいは「キツネ狩り」も似たようなものだ。
四方八方から追い込まれ、絶望と闘いながら肺が焼けるまで走り続ける。
あるいは家族でささやかに安らぐ巣穴の我が家が血の海に染まる。
娯楽ハンティングは、つまりどれも残酷性が欠かせないようだ・・・・
人間は高尚な趣味も持つ。偉大な芸術も生み出す。
なのになぜ、それとは真逆の悪魔のような所業を楽しむのだろうか???
娯楽虐待の生贄となった無数の動物たちに祈りを捧げる。
彼らが人間にいったい何をしたというのか。
絶望の果てに世を去った命たちに、渾身の祈りを捧げる。
南無華厳・・南無華厳大悲界・・・・・
■南無華厳 狼山道院■