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<2010年7月7日>

ひとくちに虐待と言っても、程度には差がある。

その程度には差があるが、至極の虐待も存在する。

誰にも耐えられない痛みと苦しみ。

誰にも耐えられない恐怖と絶望。

もしそれが自分だったら、心は粉粉に砕け散るだろう・・・・

しかも娯楽で虐待する人たちが存在する。

それは確かに、紛れも無く娯楽なのである。

娯楽で、虐待する・・・・

信じ難い理不尽が、この世に確かに存在する・・・・・


去年の春に子猪を埋葬した。

その子猪は車に轢かれて死んでいた。

その子を弔い、森に埋葬したのだ。

埋葬する前に、その子の身体を何度も撫でた。

まだ身体は、柔らかかった。

足裏の肉球も尻尾も胴体も鼻も唇も、

身体のすべてが無垢の可愛さに満ちていた。

今もなおこの手のひらは、子猪の幼い柔らかさを憶えている。

森を歩いていると、猪の家族に出逢うことがある。

母猪と子どもたちが、力を合わせて頑張って生きている。

なにひとつ、贅沢などしていない。

ただ、ささやかな家族の団欒をかみしめている。

その想い出は、彼らの心の奥底に潜み続けるだろう。

親子の別れのそののちも、ずっと刻まれているだろう。

それほどに彼ら家族から、深い愛情を感じた。

種の存続の本能だけで家族を構成している訳ではない。

そこには「情」がある。「愛」がある。

それを他の言葉に置き換えることはできない。

それは紛れも無く情緒であり、愛情である。

彼らを見ていると、痛いほどそれを感じる。

なぜか無性に、胸に熱いものが込みあげてくる。


世界のあちこちで「BOAR(猪) HUNT」というレジャーがあるようだ。

世界のあちこちで「HOG(豚) HUNT」というレジャーがあるようだ。

<YOUTUBE>を検索すれば、驚くほど沢山の映像が出てくる。

それを見た瞬間に、全身が燃えるように熱くなった。

心臓が鼓動を打ち鳴らし、身体中の血が泡立つような戦慄を覚えた。

まだ子どもの猪が、

鼻先を二本のワイアーで固く縛られて、二人の男に引きずられながら歩いている。

子どもの猪は、それまでに精根尽き果てるほどに消耗したらしく、ときどき行き倒れる。

激しく息をして、どうかここで赦してください・・と哀願している。

だが当然のごとくに、男たちはそのまま子猪を引きずる。

鼻先を千切れんばかりに引っ張られれば、歩かざるを得ない。

その子猪の後姿が、あまりにも切なかった。

その道は、死出の道だった。

子猪にはそれが、はっきりと分かっていた。

この先に凄惨な死が待ち受けていることを、子猪は知っていた。

四肢を固く縛られる。口も縛られる。

要するに、微塵も動けない。

逃げることもできない。抵抗もできない。

いっさいの動きを奪ったうえで、子猪殺しのゲームが始まる。

格闘型猟犬の群れを、解き放つ。

その闘犬たちが、容赦なく子猪に襲いかかる。

その時の子猪の胸中・・・どれほどの恐怖か・・・・・

子猪は、あらん限りの力を振り絞って、全身を固くする。

つま先から鼻先までの全身を固めなければ、瞬く間に皮膚と肉が引き裂かれてしまうからだ。

死に物狂いで全身を固くする。心臓が悲鳴をあげる。

だがやがて、少しずつ、固める力を失っていく。

そしてとうとう、皮膚が裂け始める。

いったん裂け始めれば、もう終わりだ。

その裂けた部分から一気に決壊が始まるのだ。

我が身が裂かれていく・・・生きながらの地獄だ・・・・・

その様子を、娯楽ハンターたちが笑顔で見物している。

要するに彼らは、その残酷ショーを見て楽しんでいるのだ。

猪や豚が恐怖におののく姿を見て笑うのだ。

猪や豚が苦痛にのたうち回る姿を見て笑うのだ。

なんで・・いったいなんでそんな心境になれるのか・・・・・

確かに、その格闘猟犬たちは獰猛だ。

だがその犬たちが、どうやって育てられたかが問題だ。

娯楽ハンターたちは、いっさい手段を選ばずに訓練する。

そこには温情のひとかけらも無い。冷酷の極致だ。

当然至極だ。なにしろ残酷ショーを楽しむ連中なのだから。

だから彼らは、犬たちに対しても同様に冷酷になれる。

彼らは犬たちに対して徹底的な攻撃を要求する。

そうやって、何代何十代にも亘り連綿と攻撃性を先鋭化させていく。

そして彼らは、その部分に於いて犬たちを狂わせてしまうのだ・・・・・

※なかには「これが格闘猟犬訓練だ!!」と思い込んでいる人間もいるようだ。

だがほとんどの人は誤解している。

そのような残酷な「訓練もどき」などは不要なのだ。

犬にそのようなことを強制させても、ただ過剰な攻撃欲求を煽るに過ぎない。

昔からそのような実態はあったが、今もなお相変わらずのようだ・・・・・


大昔から、古代の時代から、このようなことが行われてきた。

猪や豚だけではない。牛や熊も残酷ショーの生贄にされてきた。

鎖でつながれ、口輪まではめられ、まだ未成獣の子熊が残酷ショーの生贄になる。

あるいは「キツネ狩り」も似たようなものだ。

四方八方から追い込まれ、絶望と闘いながら肺が焼けるまで走り続ける。

あるいは家族でささやかに安らぐ巣穴の我が家が血の海に染まる。

娯楽ハンティングは、つまりどれも残酷性が欠かせないようだ・・・・

人間は高尚な趣味も持つ。偉大な芸術も生み出す。

なのになぜ、それとは真逆の悪魔のような所業を楽しむのだろうか???


娯楽虐待の生贄となった無数の動物たちに祈りを捧げる。

彼らが人間にいったい何をしたというのか。

絶望の果てに世を去った命たちに、渾身の祈りを捧げる。

南無華厳・・南無華厳大悲界・・・・・


■南無華厳 狼山道院■