<2010年6月19日>

近頃「断食」が注目されているらしい。

「断食道場」とかの宣伝も見受けられる。

世間では飽食が蔓延しているらしいから、

それによっていろいろと身体に不調を訴える人が多いらしいから、

それに対するひとつの提案として断食が紹介されるようになったようだ。

断食が医学的に身体にどのような作用を及ぼすのかは知らないが、

実体験によってその効果を知る人たちが増えてきたようだ。

本来的には一日や二日で「断食」とは呼べないと思うが、

断食の一端を知るきっかけになるのなら、それでいいと思う。

本当の空腹となると心身はどういう状態になるのか???

「飢え」の心境とは一体どのようなものなのか???

そのようなことを一片でも実感したなら大きな収穫だと思う。


私は32年前の22歳の頃に初めて断食を経験した。

その頃武道を修行していたのだが、思うところあって黙想に入った。

関係者たちには暫くの休暇を申し届け、それが許された。

その黙想が一週間続いた。あとになって初めて一週間経ったことに気づいた。

その間、ただの一歩も部屋から出なかった。

最初の二日くらいはトイレに立った記憶があるが、その後は坐り続けた。

一週間、何も食わず何も飲まなかった。文字通りの飲まず食わずで黙想した。

苦しいのは、思考の迷宮に彷徨うことだった。

ある疑問が湧き起こり、

それを考え続けたら思考が止まらなくなり、迷宮に入ってしまったのだ。

それは実に苦しかった。たとえようが無いほどに苦しかった。

しかし後半、思考が非常にクリアになっていった。

それが思考ではなく「分かる・・」ような状態に変わっていったのだ。

思考が試行錯誤せずに、自然に明らかになっていったのだ。

そしてとうとう、その疑問は解けた。

そのときの解放感は、言葉では現わせないほどだ。

最後の頃、心と身体が一体となる感覚に入った。

うまく言い表せないが、心と身体の境界が取っ払われて、

さらに自分と周囲の境界も取っ払われたような不思議な感覚だった。

仏教の用語を使えば言葉は見当たるが、ここではその言葉は使わないことにする。

それを使うと逆に分かりにくくなってしまう懸念があるからだ。

ひと言で言うなら、爽快感に溢れ、格段に身が軽くなったと言えばいいだろうか。

さらに言えば、「自由自在!!!」といった感覚だった。

たとえて言うなら、無限の大空を飛翔しているような感じだった。

その感覚が得られたのは断食のお陰も大きかったように思える。


その後十幾年経ってから、頻繁に断食するようになった。

いろんな事情が重なって、断食せざる得ない状況となったのだ。

3日から5日くらいの期間が多かったが、

肉体労働をやりながら、そして犬たちの世話と運動をやりながらの断食だった。

つまり日課を勤めながらの断食だったので、大いに空腹を感じた。

だいたい月に2回から3回は断食していたので、身体はいつも飢えていた。

<家族の犬たちには通常通り充分に食事させていたが・・・>

そしてその頃は、部屋にストーブも無かった。

この森は真冬は零下20度になるが、部屋の中でも零下10度くらいになった。

その状況下での断食は非常に過酷だった。

身体が一向に温まらないのだ。

身体を温めるための「燃料=食事」を摂取しないのだから当然の結果だ。

しかし、身体は壊れなかった。風邪ひとつ引かなかった。

このような生活を十年くらい続けたが、壊れるどころか元気一杯だった。

ギリギリの食事でも、身体は意外に大丈夫なことを、己の身体で実感できた。

いや、むしろ飽食するよりも余程身体にいいのではないかと思えるのだ・・・・

<人によって身体の個性は千差万別なので、決して一概には言えないが・・・>


3日・・4日・・5日・・・・

断食が進むと歩くだけでも息が上がる。

さらに日が経てば、立ち上がるのも苦しくなる。

朦朧としてくるし、気力も急激に衰える。

しかし・・・・

そこで挫けたら、すべては水の泡になる。

だからこそ、そこで踏ん張る。

私の場合は、そこで、野性禅に入る。

空腹が続くと、息が浅くなりがちだが、それだとますます参ってしまう。

だから深く呼吸する。ゆっくりと大きく呼吸する。

そして坐り、瞑目する。

余計なことなど、一切考えない。

一切考えずに、ただ瞑目を続ける。

そうすると、何かが起こり始める。

身体の奥に眠っていたエネルギーが目を醒ます。

そして、だんだんと気力が回復してくる・・・・

どこからか、明日に賭ける気力が湧いてくる・・・・

やはり問題は、とどのつまりは、気力だと思う。

気力さえ湧いてくれば、身体は相当なレベルまで耐えられると感じる。


断食を続けると、何か身体中の細胞が「生!!!」に向かって活発になるような気がする。

何か、原初的な生命力と言ったらいいのか、そんなような力が湧き起こってくる。

身体の奥深くに眠る未知の生命力が蘇るような感じになるのだ。

<私は8日間までしか体験していないので、それ以降がどうなるのかは知らないが・・・>

ところで「野性たち」は、ほんとうに強い。

彼らはもちろん身体も強靭だが、精神力の次元が違う。

人間はやれ「断食だ!!」と構えるが、彼らは日常的に飢えと闘っている。

どんなに飢えようとも、最後の最後まで、生に向かって突き進む。

「本能」の一言で片付ける訳にはいかない。

なぜなら彼らもまた「辛く、苦しく、ふらふらの状態・・」なのだ。

人間と同様に、苦しくてたまらない・・のだ。

でもなぜそんな状態なのに、最期まで不撓不屈で頑張れるのか???

なぜそこまで、精神が踏ん張れるのか???

それを想えば、「本能だから・・」などと一言で片付ける気にはなれない。

昔、私にとって衝撃的な映像を見た。

ロシアで、黒熊の子どもが、飢えの果てに死ぬ姿を見た。

やせ衰えた身体で食糧を探して彷徨し、その子熊は湖の畔に辿り着いた。

そこでついに、子熊は倒れた。

いや、倒れたのではなく、静かに地に伏した。

静かに地に伏して、前を見つめて息絶えた。

最後の最後まで、その子熊が一縷の望みに賭けていたことが、痛切に伝わった。

その最期の姿が、強烈な残像となって心に焼きついた。

そこまで、どれほどの距離を歩いただろう。

たったひとりで・・途轍もない孤独のなかで・・極限の飢えのなかで・・・・

それでもその子熊は、一縷の望みを託して歩き続けたのだろう・・・・

断食の時、私はいつもその子熊のことを想い出す。

狼たちは、一週間も十日も食わないで、吹雪の峰峰を越えるという。

胸までの雪をラッセルしながら山を越え、獲物を探しに彷徨するという。

断食の時、私はいつも飢えてなお突き進む狼のことを想い浮かべる。


断食は苦しい。

だからできれば、やりたくない。

だが一日絶食ならば、週一で毎週やっている。

私と犬たちで一緒に絶食するのだが、

彼らにとっては「一日」など絶食には入らないくらいだが、

とりあえず週に一度は絶食して体調を整える。

大昔には「毎日食う・・」ことの方が異例な事態だったと思う。

確かに現代の犬は家庭犬ではあるが、

それでも一日くらいは食を空ける日があってもいいと感じる。

実際、愛狼は毎日は食わなかった。

彼は自らの意思で絶食していたのだ。

もちろん犬と狼は違うが、

野性の強い犬などは、同様に自分で食を抜いたりするのだ。


断食的体験をすることによって、「気付き・・」も起こる。

「飽食・美食・過剰食」に対する「心の気付き!! 身体の気付き!!」が起こるはずだ。

今まで、いかに過剰な食生活を送ってきたかを気付くことができるはずだ。

それが分かることによって食生活を見直す絶好のきっかけになると思う。

心も身体も、余計なものを引きずっていたら支障をきたす。

余計なものを削り落として生命力を復活させる。

断食すると、その「余計なもの」が実感として分かるようになる。

※なおこの記事は「断食の薦め」ではありません。

身体には個人差がありますから、あくまでも参考程度にお読みください。


■南無華厳 狼山道院■