<2010年6月13日>

夜の山は、昼間とは違う。

昼間には感じ取れなかったものを感じることができる。

もちろん、その逆も大いにあるのだが、

やはり夜の闇の世界だとインパクトが大きい。


休みの前日辺りに、深夜から山を歩く。

その時には、犬は連れて行かない。

犬と一緒に歩けば、どんな闇夜でも迷わずに道を進めるが、

この深夜行の時には、一人で歩く。

昔は、エスキモードッグと深夜行をしていた。

そのまま途中で野営をして、そこで寝た。

そのエスキモードッグはポーラーウルフの血を受けていた。

彼は山のあらゆる気配を感知し、私に教えてくれた。

彼はいつも無言だったが、彼の様子を見るだけで、

彼がどのような気配をキャッチしたかが伝わってきた。

彼はいかなる時にも無言のままで泰然としていたが、

その泰然の中には研ぎ澄まされた野性が起動していた。

沈黙の中に、瞬発の反応感覚が隠されていた。

私は彼のその姿を見ているのが、とても好きだった。

だが今は、一人で出かける。

夜の山を一人で歩くと、それは独特の世界となる。


蒼い闇が、果てしなく続く。

おのずと、全身の感覚が起動する。

いろんな音が聞こえる。

夜の山は静かだが、実はいろんな音に溢れている。

闇の中に、いろんな動物たちの気配が満ちている。

かすかに小枝を踏む音がある。

青く光る目があちらこちらに見える。

鳥の声や羽ばたきも聞こえる。夜鷹か??

もちろん、フクロウの歌声も聞こえてくる。

フクロウの声は、実に神秘的だ。

たまに、重厚な気配が近づくことがある。

大型獣らしき重い気配が闇を伝わる。

光る目の動きで、彼らの心境が想像できる。

落ち着いているか、動揺しているか、警戒しているか、怒っているか・・・・

もちろん、こちらの心境も相手に伝わっているだろう。

こちらの挙動のすべてを観察しているだろう。

相手がこちらをどう思っているのか??

相手がこちらをどう思ってくれるのか??

彼らの行動に、その答えが出ることとなる。


夜でも昼でも、私はできる限りに静かに歩く。

それが山で歩くマナーだ。

休日の昼間など、たまに森に近づく人たちがいるが、

みんな「鈴」を鳴らしながら歩いているが、

それは「熊除けの鈴」らしいが、私は持ったことが無い。

「熊に自分の存在を知らせて遭遇を避ける・・」らしい。

それは良案かも知れないが、私は鈴を持ったことが無い。

「熊と会ったら、どうするの??」と思われるかも知れないが、

私は実際に何度も熊に会っている。そして無事だった。

確かに間近で見る熊の悍威は圧倒的だが、そこには微塵も邪気が無い。

熊が目前まで詰め寄ったこともあったが、意思は通じた。

だから本来、熊は争いなど好まないことが分かる。

むしろ私には、人間の方が怖ろしく見える。

人間は非常に好戦的な部分を持っている。

なぜそんなに好戦的なのかは、神や仏にしか分からないだろうが。


夜の山の蒼い闇の中を歩いていると、

次第に自分が闇に溶け込んでいくような感覚になる。

そうすると、そこの命たちのことが肌身で感じられる。

山の命たちの鼓動を、全身で感じることができる。

とても切なくなってくる。

彼らが、どんな想いで生きているのかが、伝わってくるからだ。

それを感じるために、夜の山を歩いている。


■南無華厳 狼山道院■