
私にとって冥福を祈るとは、
その命の伝言を聴くということだ。
その命が、今生で何を伝えたかったのか・・・
それを聴き、我が胸に刻むということだ。
命が今生の幕を閉じて他界すれば、とても悲しい。
悲しいという言葉では表現できないくらいに悲しい。
だが悲しんでいるばかりでは、祈りにはならない。
その命が伝えてくれた「命の言葉」を、胸に深く刻む。
それが己の最大の祈りだと信じ、そうやって祈ってきた。
命たちは必ず、何かを伝えて旅立っていく。
命たちが旅立つとき、必ず何かを教えてくれる。
それを、聴く。
全霊で、聴く。
今生での、最期・・・
最期のときの最後の言葉を、厳かに聴く。
それが命に対する礼であると信じてきた。
それが看取るということだと信じてきた。
命たちの渾身の伝言が、この胸に刻まれている。
どんなに歳月が流れても、いつも鮮やかに潜んでいる。
なにしろ、その命が、その命のすべてで、教えてくれたのだ。
なんで忘れることなどできようか・・・・・
命たちの伝言を胸に刻み、彼らの新たな旅にエールを送る。
その新たな旅も、きっといろんなことが起こるだろう。
彼らの大いなる学びの旅を想い、ただ一心に祈り続ける。
■南無華厳 狼山道院■