<2010年5月26日>
山で動物たちを見かけた時、彼らの様子を観察する。
毛吹きはどうか??歩き方はどうか??挙動はどうか??顔色はどうか??
<ここでの顔色というのは、目の精彩と表情のことだ・・>
だいたいそれらで彼らの健康状態が分かる。
短い時間の中でそれらを見るのは難しいが、だいたいは分かる。
彼らの健康を確認できると、とてもほっとする。
山に食糧があるんだな・・と、
住まいは大丈夫なんだな・・と、
そんなふうに安心する。
いつだか、犬を連れずに私が一人で歩いていた時、一頭の子猪と会った。
なんで一頭でいたのかは分からなかったが、健康状態は良かった。
中型犬くらいの大きさだったが、もちろん犬よりも太い体格だ。
子猪は私を発見してその場に止まった。
私も子猪を驚かせたくなかったので止まった。
子猪は、そのまま5分間くらい静止した。
それは相当に長い時間だった。
その間、子猪の全身は微動だにしなかった。
その姿が、見事に素晴らしかった。
まだ子供なのに、野性の本能が全身に刻み込まれている。
誰に教えられた訳ではない。
子猪は内なる声に従って静止を続けたのだ。
まったく美しい姿だった。惚れ惚れした。
もちろん私も微動だにせずに見ていた訳だが、
子猪は私に対して少し安心したらしい。
静止を終えると、ゆっくりと動き出した。
もし不安が先立てば、その瞬間に猛然とダッシュして逃げるのだ。
だが子猪はゆっくりと歩きながら、私を見ている。
水溜りの水を飲んだりしながら、その辺りを去らない。
痩せてはいない。毛並みもいい。顔色もいい。
それを見て私はとても安心した。
それにしても可愛い!!!
あんまり可愛いから、家族に迎えたいほどだった。
だが子猪には家族がいる。
子猪は一頭でいたが、はぐれた訳ではないだろう。
もうじき家族の元に帰るだろう。
多分、家族はすぐ近くにいるだろう。
おそらくテレパシーで交信しているだろう・・・・
そんな風に思いながら、私もゆっくりと歩き出した。
子猪とは別の方角に進んで迂回して歩いた。
子猪はしばらく私の後姿を見つめていた・・・・
<数キロ離れた狼同士が、一切の声を使わずに交信する学術レポートがある・・・>
この前、我われの近くまで、キツネが来た。
犬たちはみんな犬舎に入っているから、
それをキツネも知っているから、だから近くまで来るのだが、
それにしてもゆったりと穏やかな動きだった。
キツネはあまりウォークを見せない。
里の近くではトロットか、すぐさまギャロップだ。
キツネがウォークを見せるのは、よほど安心している状態だろう。
そのキツネは、ゆったりと歩き、そして我われを眺めていた。
興味深そうに、親しげに、我われを見つめている。
「エサ」を求めて来た訳ではない。そんなことは一目瞭然だ。
エサを求めていれば、挙動がまったく違うからだ。
カンとコタが一声あげたが、ほかのみんなは黙っていた。
みんな、静かに食い入るように見つめている。
犬たちはそのキツネを不審者とは思っていない。
もちろん侵入者とも思っていない。
キツネがこの森に住むこの森の生活者だと心得ているようだ。
むしろ、犬たちが「一緒に遊びたい!!」と心を躍らせているのが分かる。
犬たちが、うずうずしているのが、手に取るように分かる。
だが、我われには「約束」があるから、それは我慢しなければならない。
「我慢するときは我慢する!!!」それが我われの掟なのだ。
その掟を知っているから、犬たちは己を抑えているのだ。
私は振り返り、犬たち一頭一頭の目を見つめる。
犬たち一頭一頭に、目で念を押して彼らの心を鎮める。
もちろん、もし生来的に強烈な狩猟意欲をもつ犬たちだったら、
私は彼らに別の対応をする。別の鎮め方を実行する。
念を押す部分は共通だが、伝える内容が違うのだ。
昔はそのような犬たちが家族だった。
だが彼らは他界し、今の犬たちは彼らとは異なる。
犬たちの個性によって、鎮める方法は異なるのだ・・・・
そのキツネは毛艶が良かった。痩せてもいない。顔色もいい。
何よりも、ゆったりと落ち着いていた。
だから私はとても安心した。
私は座り、辺りを眺めていた。
あまり見つめ続けると、キツネも落ち着かなくなるからだ。
だから視線を外して静かに漠然と眺めるのだ。
やがてキツネは何かに満足したようで、ゆっくりと去っていった。
そのあまりにゆったりとした足取りが、深く胸に刻まれた。
動物たちは、いつも来訪する訳ではない。
たまに時機を見計らって挨拶に来るようだ。
彼らの日常もいろいろとあるし、我われの日常もいろいろとある。
だから出会える日はとても貴重だし、大切な想い出だ。
出会った動物たちのことを想い出す。
彼らが、たとえ飢えていなくとも、
それでもその日常が大変に厳しいものであることが分かる。
そこにどれほどの忍耐と努力が隠されているかが分かる。
そして、彼らが老いて、どのように死んでいったかが、分かる。
彼らがどのように最期を迎えたのかが、分かる。
ときどき、その光景が、ありありと胸に浮かぶのだ。
胸が張り裂けそうになる。
悲しい・・という感情を超える。
もはや、尊敬の想いで胸が張り裂けそうになるのだ・・・・
山の動物たちに、私にできることなど何もない。
ただただ、願うことだけだ。
ただ願い、祈ることだけしかできない。
だがせめて、毎日毎日、祈っている。
この森だけでなく、すべての森に、すべての山に、幸あれと・・・・
山の動物たちと一緒になって、南無華厳・・南無華厳大悲界と・・・・
■南無華厳 狼山道院■
山で動物たちを見かけた時、彼らの様子を観察する。
毛吹きはどうか??歩き方はどうか??挙動はどうか??顔色はどうか??
<ここでの顔色というのは、目の精彩と表情のことだ・・>
だいたいそれらで彼らの健康状態が分かる。
短い時間の中でそれらを見るのは難しいが、だいたいは分かる。
彼らの健康を確認できると、とてもほっとする。
山に食糧があるんだな・・と、
住まいは大丈夫なんだな・・と、
そんなふうに安心する。
いつだか、犬を連れずに私が一人で歩いていた時、一頭の子猪と会った。
なんで一頭でいたのかは分からなかったが、健康状態は良かった。
中型犬くらいの大きさだったが、もちろん犬よりも太い体格だ。
子猪は私を発見してその場に止まった。
私も子猪を驚かせたくなかったので止まった。
子猪は、そのまま5分間くらい静止した。
それは相当に長い時間だった。
その間、子猪の全身は微動だにしなかった。
その姿が、見事に素晴らしかった。
まだ子供なのに、野性の本能が全身に刻み込まれている。
誰に教えられた訳ではない。
子猪は内なる声に従って静止を続けたのだ。
まったく美しい姿だった。惚れ惚れした。
もちろん私も微動だにせずに見ていた訳だが、
子猪は私に対して少し安心したらしい。
静止を終えると、ゆっくりと動き出した。
もし不安が先立てば、その瞬間に猛然とダッシュして逃げるのだ。
だが子猪はゆっくりと歩きながら、私を見ている。
水溜りの水を飲んだりしながら、その辺りを去らない。
痩せてはいない。毛並みもいい。顔色もいい。
それを見て私はとても安心した。
それにしても可愛い!!!
あんまり可愛いから、家族に迎えたいほどだった。
だが子猪には家族がいる。
子猪は一頭でいたが、はぐれた訳ではないだろう。
もうじき家族の元に帰るだろう。
多分、家族はすぐ近くにいるだろう。
おそらくテレパシーで交信しているだろう・・・・
そんな風に思いながら、私もゆっくりと歩き出した。
子猪とは別の方角に進んで迂回して歩いた。
子猪はしばらく私の後姿を見つめていた・・・・
<数キロ離れた狼同士が、一切の声を使わずに交信する学術レポートがある・・・>
この前、我われの近くまで、キツネが来た。
犬たちはみんな犬舎に入っているから、
それをキツネも知っているから、だから近くまで来るのだが、
それにしてもゆったりと穏やかな動きだった。
キツネはあまりウォークを見せない。
里の近くではトロットか、すぐさまギャロップだ。
キツネがウォークを見せるのは、よほど安心している状態だろう。
そのキツネは、ゆったりと歩き、そして我われを眺めていた。
興味深そうに、親しげに、我われを見つめている。
「エサ」を求めて来た訳ではない。そんなことは一目瞭然だ。
エサを求めていれば、挙動がまったく違うからだ。
カンとコタが一声あげたが、ほかのみんなは黙っていた。
みんな、静かに食い入るように見つめている。
犬たちはそのキツネを不審者とは思っていない。
もちろん侵入者とも思っていない。
キツネがこの森に住むこの森の生活者だと心得ているようだ。
むしろ、犬たちが「一緒に遊びたい!!」と心を躍らせているのが分かる。
犬たちが、うずうずしているのが、手に取るように分かる。
だが、我われには「約束」があるから、それは我慢しなければならない。
「我慢するときは我慢する!!!」それが我われの掟なのだ。
その掟を知っているから、犬たちは己を抑えているのだ。
私は振り返り、犬たち一頭一頭の目を見つめる。
犬たち一頭一頭に、目で念を押して彼らの心を鎮める。
もちろん、もし生来的に強烈な狩猟意欲をもつ犬たちだったら、
私は彼らに別の対応をする。別の鎮め方を実行する。
念を押す部分は共通だが、伝える内容が違うのだ。
昔はそのような犬たちが家族だった。
だが彼らは他界し、今の犬たちは彼らとは異なる。
犬たちの個性によって、鎮める方法は異なるのだ・・・・
そのキツネは毛艶が良かった。痩せてもいない。顔色もいい。
何よりも、ゆったりと落ち着いていた。
だから私はとても安心した。
私は座り、辺りを眺めていた。
あまり見つめ続けると、キツネも落ち着かなくなるからだ。
だから視線を外して静かに漠然と眺めるのだ。
やがてキツネは何かに満足したようで、ゆっくりと去っていった。
そのあまりにゆったりとした足取りが、深く胸に刻まれた。
動物たちは、いつも来訪する訳ではない。
たまに時機を見計らって挨拶に来るようだ。
彼らの日常もいろいろとあるし、我われの日常もいろいろとある。
だから出会える日はとても貴重だし、大切な想い出だ。
出会った動物たちのことを想い出す。
彼らが、たとえ飢えていなくとも、
それでもその日常が大変に厳しいものであることが分かる。
そこにどれほどの忍耐と努力が隠されているかが分かる。
そして、彼らが老いて、どのように死んでいったかが、分かる。
彼らがどのように最期を迎えたのかが、分かる。
ときどき、その光景が、ありありと胸に浮かぶのだ。
胸が張り裂けそうになる。
悲しい・・という感情を超える。
もはや、尊敬の想いで胸が張り裂けそうになるのだ・・・・
山の動物たちに、私にできることなど何もない。
ただただ、願うことだけだ。
ただ願い、祈ることだけしかできない。
だがせめて、毎日毎日、祈っている。
この森だけでなく、すべての森に、すべての山に、幸あれと・・・・
山の動物たちと一緒になって、南無華厳・・南無華厳大悲界と・・・・
■南無華厳 狼山道院■