<2010年5月14日>
「心」は、不思議だ。
誰しも自分の心が不思議になるだろう。
頭では分かっているはずなのに、
なのに心はそれとは別の方向に彷徨うこともある。
皆さん・・不思議に思いませんか??
たとえば、恋愛・・・
頭での理想とはまるで違う人を好きになったりしませんか??
あるいは、失恋・・・
頭では別れて正解だと分かっていても、
その人の残像が胸を去らずに激しく恋しくなった体験は、ないですか??
未練がさらに自分を追い詰めると分かっていても、さらに傷つくと分かっていても、
その未練の炎を消してその人を忘れることができましたか??
もちろん恋愛だけでなく、ありとあらゆる場面に於いて、
皆さんも心の不可解を感じながら生きてきたことと思います。
皆さん・・自分の心が、理屈で説明できると思いますか??
自分の心の世界が、理屈で説明できるような次元だと思いますか??
皆さんは、自分の心の奥底を、そのまた奥に隠された本心を、
もし他者から理屈で説明されたとして、納得いくと思いますか??
「WHAT IS MIND ??」・・・「NO MATTER !!」
<心とは何か??・・・どうでもいいけど、決して物質ではない!!>
「WHAT IS MATTER ??」・・・「NEVER MIND !!」
<物質とは何か??・・・気にすんな、決して心ではない!!>
これは、海外の「心の哲学者」たちに有名らしい意味深な文句です。
何か、実に的を得たような文句です。
ところで物理主義者たちは実に長い間、
どのようにしたら物理学用語を使って「心」を説明できるかを考えてきたようです。
しかし未だに、その答えは出ていないそうです。
あるいは分析哲学の領域でも、未だに曖昧な説明に終わっているようです。
「哲学」といえば、なにしろその文章を読むだけでも気が遠くなりそうです。
なんでこんな途轍もない文章になってしまうのか???と思います。
この学問は、頭で考え続けることが途方も無く好きでなければ踏み込めないと思います。
そのような人たちは、きっとあの途轍もない文章が大好きなのだろうと思います。
もう、頭の構造からして違うのだと思います。
そのような人たちが、遥かな年月を賭けても、未だに満足な答えを見出せないとは・・・・
それほどに「心」とは、果てしなく深い領域なのでしょう。
皆さん・・自分に心があると、思いますか??
そもそも、自分に心があることが、不思議だと思いませんか??
自分が存在するに於いて、心がある必然は、そもそもあるのでしょうか??
心が無くとも、もしかして「存在」することは、できるのではないでしょうか??
しかし皆さん、「自分には、心がある!!」と、断言できるはずです。
自分にとって、それは事実のはずです。
不思議だけど、それは事実のはずです。
近頃、「脳科学」が脚光を浴びているようです。
つぎつぎと、新たな発見が発表されているようです。
しかし私が感じるに「脳」は、
心が意思表示をするための、心が身を通して表現するための、
そのための「ツール」だと感じます。
もちろん重大至極な、超貴重なツールです。
いうならば、ウルトラスーパーコンピュータだと思います。
しかしそれを起動しているのは「心」のはずです。
いかなるコンピュータでも、自発で起動はできないはずですから・・・・
この今生に於いて、「肉体」を纏って生きる心にとって、
「脳」とは、かけがえの無いパートナーなのだと思います。
つまり、心がこの今生で生きるために「脳」は存在するのだと思います。
もちろん、心の意思の情報は絶え間なく脳に入っていきますから、
また脳が外界から得た情報も絶え間なく心に流れていきますから、
心と脳とは、一心同体に近い状態でしょう。
しかし一心同体に近いとはいえ、脳は「身」であるパートナーですから、
心とのギャップが生じても何ら不思議ではないと思います。
確かに脳科学によって、「心」の一端は、明らかになると思います。
しかしあくまでも「一端」に過ぎないと思います。
コンピュータを分解分析して中の仕組みや情報を知ることはできても、
そもそもそれを起動し意思を送り込んだ「本体」まで知ることにはなりません。
ところで科学者は、この世の全てを科学で解明するという意気込みを持っているようですが、
そこに一体なんの意義があるのか、私は不思議でなりません。
「なにがなんでも科学理論で説明しなければ!!」というその心境が分かりません。
私には、それはまるで強迫観念のように思えます・・・・
確かに、それで説明できる領域もあるでしょう。解明できる領域もあるでしょう。
しかしそれができない領域があったとしても、気にする必要など微塵も無いと思うのですが。
自分に心があることが不思議なのですから、
たとえば動物たちに心があっても、なんら不思議ではありません。
もしかして心を有するということが、
人間だけに与えられた「奇跡的な特権」だと思う人がいるかも知れませんが・・・・
自分の不思議は受容して他者の不思議は否定するでは、寂しい話です・・・・
■南無華厳 狼山道院■
「心」は、不思議だ。
誰しも自分の心が不思議になるだろう。
頭では分かっているはずなのに、
なのに心はそれとは別の方向に彷徨うこともある。
皆さん・・不思議に思いませんか??
たとえば、恋愛・・・
頭での理想とはまるで違う人を好きになったりしませんか??
あるいは、失恋・・・
頭では別れて正解だと分かっていても、
その人の残像が胸を去らずに激しく恋しくなった体験は、ないですか??
未練がさらに自分を追い詰めると分かっていても、さらに傷つくと分かっていても、
その未練の炎を消してその人を忘れることができましたか??
もちろん恋愛だけでなく、ありとあらゆる場面に於いて、
皆さんも心の不可解を感じながら生きてきたことと思います。
皆さん・・自分の心が、理屈で説明できると思いますか??
自分の心の世界が、理屈で説明できるような次元だと思いますか??
皆さんは、自分の心の奥底を、そのまた奥に隠された本心を、
もし他者から理屈で説明されたとして、納得いくと思いますか??
「WHAT IS MIND ??」・・・「NO MATTER !!」
<心とは何か??・・・どうでもいいけど、決して物質ではない!!>
「WHAT IS MATTER ??」・・・「NEVER MIND !!」
<物質とは何か??・・・気にすんな、決して心ではない!!>
これは、海外の「心の哲学者」たちに有名らしい意味深な文句です。
何か、実に的を得たような文句です。
ところで物理主義者たちは実に長い間、
どのようにしたら物理学用語を使って「心」を説明できるかを考えてきたようです。
しかし未だに、その答えは出ていないそうです。
あるいは分析哲学の領域でも、未だに曖昧な説明に終わっているようです。
「哲学」といえば、なにしろその文章を読むだけでも気が遠くなりそうです。
なんでこんな途轍もない文章になってしまうのか???と思います。
この学問は、頭で考え続けることが途方も無く好きでなければ踏み込めないと思います。
そのような人たちは、きっとあの途轍もない文章が大好きなのだろうと思います。
もう、頭の構造からして違うのだと思います。
そのような人たちが、遥かな年月を賭けても、未だに満足な答えを見出せないとは・・・・
それほどに「心」とは、果てしなく深い領域なのでしょう。
皆さん・・自分に心があると、思いますか??
そもそも、自分に心があることが、不思議だと思いませんか??
自分が存在するに於いて、心がある必然は、そもそもあるのでしょうか??
心が無くとも、もしかして「存在」することは、できるのではないでしょうか??
しかし皆さん、「自分には、心がある!!」と、断言できるはずです。
自分にとって、それは事実のはずです。
不思議だけど、それは事実のはずです。
近頃、「脳科学」が脚光を浴びているようです。
つぎつぎと、新たな発見が発表されているようです。
しかし私が感じるに「脳」は、
心が意思表示をするための、心が身を通して表現するための、
そのための「ツール」だと感じます。
もちろん重大至極な、超貴重なツールです。
いうならば、ウルトラスーパーコンピュータだと思います。
しかしそれを起動しているのは「心」のはずです。
いかなるコンピュータでも、自発で起動はできないはずですから・・・・
この今生に於いて、「肉体」を纏って生きる心にとって、
「脳」とは、かけがえの無いパートナーなのだと思います。
つまり、心がこの今生で生きるために「脳」は存在するのだと思います。
もちろん、心の意思の情報は絶え間なく脳に入っていきますから、
また脳が外界から得た情報も絶え間なく心に流れていきますから、
心と脳とは、一心同体に近い状態でしょう。
しかし一心同体に近いとはいえ、脳は「身」であるパートナーですから、
心とのギャップが生じても何ら不思議ではないと思います。
確かに脳科学によって、「心」の一端は、明らかになると思います。
しかしあくまでも「一端」に過ぎないと思います。
コンピュータを分解分析して中の仕組みや情報を知ることはできても、
そもそもそれを起動し意思を送り込んだ「本体」まで知ることにはなりません。
ところで科学者は、この世の全てを科学で解明するという意気込みを持っているようですが、
そこに一体なんの意義があるのか、私は不思議でなりません。
「なにがなんでも科学理論で説明しなければ!!」というその心境が分かりません。
私には、それはまるで強迫観念のように思えます・・・・
確かに、それで説明できる領域もあるでしょう。解明できる領域もあるでしょう。
しかしそれができない領域があったとしても、気にする必要など微塵も無いと思うのですが。
自分に心があることが不思議なのですから、
たとえば動物たちに心があっても、なんら不思議ではありません。
もしかして心を有するということが、
人間だけに与えられた「奇跡的な特権」だと思う人がいるかも知れませんが・・・・
自分の不思議は受容して他者の不思議は否定するでは、寂しい話です・・・・
■南無華厳 狼山道院■