<2009年12月5日>

子犬には子犬の仕事がある。

重大な仕事だ。

たくましく丈夫に育ち、

将来獣医の御世話にならないようになるために。

ちょっとやそっとのアクシデントなど、ものともしない身体になるために。

そのために、たくさん食べて、ちゃんと排泄して、

思い切り遊んで、がんがん運動して、

そしてぐっすりぐっすりと眠るのだ。

そしてもちろん、きれいな水もたっぷりと必要だ。

ぐっすりぐっすりと眠って、

気持ち良くしっかりと排泄して、

存分に躍動して、

全身の感覚を磨いて、

きれいな水を充分に飲んで、

適切な食糧を充分に食べて、

そしてぐっすりぐっすりと眠るのだ。

※特に子犬にとって、睡眠は想像以上に重要だ。

※水もまた、想像以上に重要だ。

水は、「成長・代謝・回復・修復」などの不可欠の材料だ。


子犬の身体は、急激に成長する。

人間とは比較にならない速さで成長する。

だから代謝も、もの凄い。

だから排泄も、頻繁だ。

だから私は、子犬たちに「排泄禁止」を命じたことは一度も無い。

子犬たちは本当は、「巣」の中で排泄などしたくはないのだ。

本当は「巣」の外で排泄したいのだ。

しかし状況により、やむを得ずそこでしてしまうのだ。

本当はみんな、「巣」をきれいにしておきたいのだ。

それが本来の本能だが、

その拘束された状況によって、不本意にもそこでしてしまうのだ。

そして個体によって、我慢の限度が違う。

個体の身体構造によって、キャパが異なるのだ。

だから一様に同じ時間を我慢させることには無理があるのだ。

だいたい、どんなに有効な栄養を摂っても、

排泄を制限されれば無効となるばかりか有害となる。

摂取と排泄は、つねに不可分の「セット」なのだ。

だから私は、気兼ねなく子犬が排泄できるような環境で育ててきた。

そして、成長するにつれ、だんだんと、子犬自ら我慢するようになる。

わざわざ我慢を命じなくとも、自発的に我慢するようになる。

成長すれば、ある程度はそれが可能な身体になっていくのだ。

※およそ殆どの犬は、普通は巣の中での排泄を我慢するはずだが、例外もあるだろう。

だがおそらく、その場合でも、なんらかの理由が隠されていると思われる。

※人は簡単に「排泄のしつけ!!」を強調するが、

試しに自分が排泄を我慢してみるといい。

どのくらい我慢できるか、試してみるといい。

それが思った以上に難しく苦痛であることが分かるはずだ。

それを、「子犬」に対して、平然と強要する人が多いようだ。


「遊び」も子犬の重大な仕事だ。

だから存分に子犬が遊ぶために、

子犬の遊び場には「不都合な物」を絶対に置かない。

遊ばれては困る物は、あらかじめ撤去しておく。

そうすれば、飼主は怒らずに済む。

子犬に対して余計な叱責をしないで済む。

そこに大事な物を置いておけば、わざわざ怒る原因を生んでいるようなものなのだ。

そこに「ボロ切れ」と「ブランド物スーツ」があったとする。

だが子犬には、全く同価値だ。

子犬に対して、その価値の違いを諭すことなど無意味だ。

人間の価値観と犬族の価値観は異なるし、ましてや子犬なのだ。

だからそこに於ける対策はただひとつ、そこにスーツを置かないことだ。

そこに大事な物を置きっ放しでは、年がら年中、叱り、怒ることになる。

本来なら叱らなくても済むのに、意義無き叱責を積もらせていく。

そうなれば、やがてその犬は屈折していく。

その犬は自らに心を閉ざし、悲しみの一生を送るだろう。

もはやそこには、「絆」など存在しない・・・・

だが成長するにつれ、おのずと認識するようになる。

だんだんと遊びが少なくなり、落ち着くようになる。

それが主人にとって大事な物であることも、薄薄分かってくるようになる。

「それはダメだよ・・」と言えば、分かるようになる。

生後半年、一年、二年、三年、どんどん落ち着き、理解力が深まる。

だが、それを待てない飼主が多いように感じる。

わずか二年や三年を、待てないのだ。

※これについてはもちろん、

犬種によって、雌雄によって、個体によって、大変に幅がある。

百頭いれば、百の個性が存在するのだ。

だから一概にどうこう言えないのだが、大体に於いてはこのように言える。

※子犬の遊び場は、「滑らない床」が鉄則だ。

そこが「滑る床」だったら、相当に有害となる。

遊びの効果も半減するし、子犬の骨格に大きな影響が及ぶのだ。

肉体にも支障が及ぶし、運動感覚の発達にも支障が及ぶだろう。


お母さんと、遊ぶ。

兄弟たちと、遊ぶ。

その遊びの中で、いろんなことを勉強する。

お母さんは、しっかりと見ている。

兄弟たちの遊びの様子も、しっかりと見ている。

相手が嫌がるくらいのしつこい遊びは、しまいに叱られる。

「いい加減にしなさい!!」と、遂には叱られる。

お母さんだけではない。

兄弟たちからも抗議を受けることになる。

そうやってだんだんと「節度」を知るようになる。

我慢すること、協調することを、知るようになる。

自分勝手な行動が、みんなに迷惑をかけることを、覚えるようになるのだ。

でもそこには、その教育には、「愛」がある。

その根幹は「親心」であり、揺ぎ無い家族愛なのだ。

そして「歯」が生え変わる頃に、生後5ヶ月から6ヶ月の頃に、

子犬の理解力は急激に高まる。

その頃からだんだんと、深い領域を認識できるようになる。

だからその頃から、「掟」が教え込まれるようになる。

群れでの掟の教育が、だんだん厳しさを増していく。

※でも、まだまだ子供に過ぎないから、もちろん大目には見られるが。

まだまだ発育途上の子供だから、そこには手加減もあるし、寛容もあるのだ。


子犬は、いつも主人を見つめている。

無意識のうちに、リーダーとしての主人を見つめている。

子犬はリーダーから、学ぼうとしているのだ。

リーダーの内面から、重大な何かを学ぼうとしているのだ。

リーダーの挙動、リーダーの態度、リーダーの呼吸、リーダーの声、

リーダーの判断、リーダーの行動、リーダーの統率力、リーダーの覚悟・・・・

そういったものを、子犬は無意識に見つめている。

子犬を教育したいと思うなら、

飼主は常に鏡の前に立っているつもりで、

己の中の「リーダー」を磨き続けることだ。


※今日は時間が無いので、この辺で終了します。

このまま書き続けると延々と終わらないので、またの機会に書きます。

■南無華厳 狼山道院■