<2009年12月5日>

深夜、夜の山を歩く。

もう道は、凍っている。

この夜の行脚の時は、

日によって交代に、一頭だけと行く。

一頭だけと、静かに、沈黙の中を歩むのだ。

月夜の晩なら、明かりは要らない。

月夜でなくとも、犬が先導してくれるので道は分かるが・・・


いろんな動物たちの気配が、濃密に漂っている。

彼らからの視線を、痛いほどに感じる。

彼らの気配を感じながら歩いていると、たまらなく胸が切なくなる。

この世界の、ただならぬ純真が胸に迫り、心の中で、手を合わせる。

彼らが、どんな風に生きているのかが分かるから、

彼らが、どんな想いで生きているのかが分かるから、

彼らが、どれほどに全霊で生きているのかが分かるから、

だからいつも、手を合わせずにはいられない。


どれほどに苦闘の毎日であっても、

どれほどに空腹の毎日であっても、

彼らは、妬まない。

他の何者とも己を比較せず、

他者と己の境涯を比較せず、

死の瞬間まで遂に己本来の生涯を全うする。

妬めば、恨む。

恨めば、自分を見失う。

野性界では、自分を見失えば、生きてはいけない。

彼らはいつも、ぎりぎりの境界線上にいるから、己の全存在を賭ける。

己の全てを賭けるために、邪念など抱えてはいられない。



いつかの夜、小道でイノシシの家族と逢った。

以前の記事で紹介した、あの家族に違いない。

不思議なことに、その夜も「蓮」と歩いていた。

そして驚くべきことに、その夜はその家族が、我われに着いて来たのだ。

母猪はかなり大きい。子供たちも少し大きくなっている。

道中、蓮は幾度も振り返る。

愛しそうに振り返る。

だんだん、我われの居留地に近づいていく。

イノシシたちの歩みが鈍った。

遠慮しているのだ。

彼らと犬たちの間には、暗黙の了解、暗黙の間合いが存在しているのだ。

そして彼らは歩みを止めた。

その場所は、いつも彼らの足跡が途絶えている場所だった。

彼らは、いつも通りの場所に留まり、我われを見送っていた。

私と蓮は振り返り、彼らを見つめた。

なにかが胸に込み上げてくる。

クマの時もそうだった。

クマが我われを見送ってくれたあの時も、

理屈を超えた何かが、この胸を貫いた。


立派な立派なお母さん。

愛と勇気に満ちたお母さん。

可愛い可愛い子猪。

正真正銘の無邪気な子供たち。

懸命に頑張っている子供たち。

お母さんと子供たちが、力を合わせて厳しい毎日を乗り越える。

お母さんと子供たち・・・

一緒に着いて来てくれたんだね。

一緒に夜の小道を歩いてくれたんだね。

ご飯が欲しくて来たんじゃないね。

君たちが食糧を求めて来てるんじゃないことを、知っているよ・・・・


夜の森に坐っていると、「声」が聴こえる。

山の命たちの心の声が、この胸に響く。

山に、食べ物が豊富なことを、心から祈る。

山の命たちが、どんな想いで空腹を耐えるかが分かるから。

南無華厳・・・一心に祈る。

■南無華厳 狼山道院■