<2009年11月6日>

山で犬と散歩していると、いろんな動物と出逢う。

フリートレッキングの時には全感覚を集中しているので、

つまり私が或る種の緊迫感の中にいるので出逢わないが、

九尺手綱で散歩している時には出逢う。

その時には気持ちがゆったりとしているので出逢うのだ。

キツネが顔を出す。

カモシカが現われる。

この前はイノシシ家族と出逢った。

以前は、クマと一緒に歩いたこともある。


犬たちは驚かない。

相手も驚かない。

我が家の犬たちと彼らは、どうも顔見知りのようだった。

もちろん、互いに「本能」が潜在する。

野性界の教典である本能が厳然と潜在する。

だがその本能の中には、何か不可思議な部分が隠されているのだ。

その不可思議な領域を、犬たちと彼らが教えてくれているように感じる。


実に不思議な感覚だ。

その時間が、その空間が、「無限」に感じる。

なんというか、「愛の世界」に踏み込んだような感覚なのだ。


クマは、たぶんまだ若熊だったと思う。

森の中を、我われと一定の距離を保って、着いて来るのだった。

もちろん犬は普段よりも気迫を現わしたが、怖れもせずに敵意も見せずに歩いた。

なんか、彼らはとても自然体だった。

それに較べて、私は少し緊張していた。

野性は、とにかく独特の威圧感を放っているのだ。

いくら若熊とはいえ、どうしても圧倒されてしまうのだ。

しかし歩いているうちに、だんだん緊張が解けた。

そのクマの気持ちが伝わってきたからだ。

そのクマは、我われに何の敵意も持っていなかった。

そのクマは、なにか我われに歓心を持ってくれたようだった。

やがて森の我が家が近づくと、クマは遠慮して歩みを止めた。

我が家に着いて振り返れば、クマは森の奥に佇んでこちらを見つめていた。

クマは痩せてはいなかった。

しっかりした身体つきだったから、ちゃんと食事ができているようだった。

それが心配だったのだ。

もし食えていなかったらどうしようかと、それを考えていたのだが、

とりあえずは大丈夫だと確信できたので、少し安心した。

そのクマは、食糧を目当てに着いて来た訳ではない。

それが分かる。

もしそうだとしたら、犬たちの様子が全く違っていたはずなのだ。


野性界はとても凄いと、敬服した。

あれほど厳しい世界なのに。

あれほど過酷な世界なのに。

生まれてから死ぬまでを、一瞬一瞬を渾身の気力で生き抜く世界なのに。

それなのに、ただ生存に追われているだけではない。

それなのに、大きな気持ちを失わずに生きている。

それなのに、宝石のような純情を抱き続けている。

なにかが胸に込み上げてきて、私は地に伏して合掌した。

■南無華厳 狼山道院■