<2009年10月24日>

「蓮」と一緒に、山を散歩していた。

蓮は13歳だが、まだまだ元気いっぱいだ。

途中、蓮が、いつもとは違うルートに私を導いた。

蓮は、何かを感知しながら歩いていた。

しばらく森のブッシュを歩くと、前方に動物たちのシルエットが見えた。

彼らを驚かすと悪いので、私は引き返そうと思った。

いつもならそうするのだが、その日は蓮が強く私を導いた。

蓮は彼らの数メートル手前で立ち止まった。

彼らは、イノシシの家族だった。

私は少し驚いた。

なぜイノシシたちが逃げなかったのか、それが不思議だったからだ。

すでに、はるか手前で、彼らは我々の気配を感じていたはずなのだ。

しかし彼らは、こんなに至近距離まで我々の接近を許してくれたのだ。

一本の木を中心に、母と四頭の子どもたちがいる。

木の周りを掘って何かを食べていたような気がする。

母子たちは首を上げて、じっと我々を見つめている。

母イノシシは大きく、充分に健康体に見えた。

そして子イノシシたちは、たとえようが無いほどに、ほんとうに可愛い。

私はそこに、はかり知れない家族の絆を感じた。

誰にも侵すことのできない、深秘の絆を感じた。

蓮は、静かに立ち止まっていた。

そして愛しそうに、母子たちを見つめていた。

彼は、「子ども」が大好きなのだ。

いつも子犬たちを守ってきてくれた。

彼は子犬を見る目と同じ目で、愛に満ちた眼差しで、子どもたちを見つめていたのだ。

それはとても長い時間に感じた。

しかし実際には十秒くらいだったと思う。

私はそろそろお別れの時間だと判断し、蓮と共に静かに踵を返し、道を戻った。

途中、蓮が一度振り返った。

母子たちの方向を見つめ、名残惜しそうに優しく遠吠えを歌った。

その歌は、きっと母子たちに届いただろう。


犬たちは、それぞれに異なる個性を持っている。

皆が蓮のような行動を取る訳ではない。

猟本能の強烈な犬もいるし、そうではない犬もいる。

天性のハンターもいれば、野ネズミとさえ仲良しになる犬もいる。

それぞれが、さまざまに異なる感受性を秘めているのだ。

これは犬族が生存を賭けた場合の話ではない。

そのような次元を語っているのではなく、

犬に隠された別の感性を言っているだけだ。

これまで私が感じてきたことは、犬たちが、

生存本能だけで、捕食本能だけで生きている訳では無いということだ。

そして大自然の中でも、時として異種同士間の友情があると、私は強く感じるのだ。

そこには「生態系のバランス」だけでは語り切れない秘密の領域が、確かにある・・・・


イノシシの家族たちは、冬が来れば低山に移って生活するだろう。

雪に覆われた酷寒のこの森では、食料を得ることが出来ないだろうから。

だが、低山に行けば危険が待ち受けているかも知れない。

いや、移動の最中にだって、危険が満ち満ちているはずだ。


我々は、イノシシ母子たちの無事を願った。

我々に出来ることは、祈ることだけだった。

あのお母さん、どんなにか大変だろう・・・・

あの四頭の子どもたちを育てることは、どんなに苦労だろうか・・・・

食べ物を探し歩く毎日、不安の毎日、空腹と疲労の毎日・・・・

子どもたち、みんな精一杯に頑張っている・・・・

わがままな子など、ひとりもいない・・・・

わがままだったら、家族が生きていけないからだ・・・・

どんなにお腹が減っても、みんなお母さんと一緒に頑張っていく・・・・

それが、分かる・・・・

彼らの気持ちを、痛いほど感じた・・・・

私は蓮と一緒に、あのお母さんと子どもたちのことを祈った。

■南無華厳 狼山道院■