<2009年10月14日>
その人の個性を知ろうとすることこそ重大だと思っている。
それは容易ではないが、だがその努力は必要だ。
家庭でも学校でも職場でも・・・・
それを知ること無しには成り立たない。
それを知ろうとせずに進めようとしても、何も生まれない。
本気で個性を知ろうとすれば、だんだん分かってくる。
本気が洞察を生み、理解を生む。
その人が何故そのような行動をとるのか、
その人が何故そのような判断をするのか、
だんだんに分かってくる。
それが分かれば、導きの方法が明らかになる。
その人を導く独特の方法が見えてくる。
だが個性を知る努力を怠れば、その人を殺すことになる。
家庭で、学校で、職場で・・・・
十把ひとからげの定石指導で、その人を殺すことになる。
たとえば、何故その人がその作業に時間がかかるのか??
「時間がかかりすぎだ!! もっと早く!!」と怒鳴る前に、
その人の言い分を聞いた方がいい。
そこには、その人独特の深い理由が隠されているかも知れないのだ。
一途に真摯に、丁寧な仕事をしたかったかも知れないのだ。
誰よりも真面目に、その仕事に取り組んでいたかも知れないのだ。
それが分かれば、具体的な「作業の程度」を教えてあげればいい・・・・
もしかしてその作業よりも別の作業の方に、その人は能力を発揮するかも知れない・・・・
程度とか加減とか按配とか、その辺の微妙な感覚は人によって違うし、判断が異なる。
その時その場合に何を優先すべきかという判断も、人によって異なる。
その人が「よかれ・・」と思って行動しても、裏目に出ることもある。
悪気でもなく怠慢でもなく、よかれ・・と思ってやったかも知れないのだ。
ただ叱るのではなく、まず理由を聞くことが必要だと思うのだ。
詰問するのではなく、自然体の会話の中で・・・・
なんだか細かい話になったかも知れないが、
例えば実際の職場の中では、案外このような事柄も疎かになっているような気がするのだ。
個性を尊重することと甘やかすということは、全く別次元の問題だ。
個性を尊重するということと放任とは、全く別次元の問題だ。
過保護に甘やかすことや全くの放任は、逆にその個性を殺すことになりかねない。
その個性がまだ独り立ちしていない場合には、
その個性に合ったやり方で、時には律し、時には叱咤し、時には見守り、
厳しくも愛に満ちた親心で導いてあげることが必要だと思う。
しかしそれに於いても、その人のその個性を見抜かなければならない。
それはかなり難しいことだが、
だからこそ導きの者は、洞察力を研ぎ澄まさなければならない。
その洞察力を磨く努力が、軽視されているように思えてならない・・・・
※動物たちと接するときも、まったく同様だ。
100頭いれば、そこには100の個性がある。
そこには100の事情があり、100の理由がある。
それぞれに、隠された秘密の個性が潜んでいるのだ。
「自分には個性が無い・・」と嘆く人がいる。
「自分の個性が分からない・・」と悩む人がいる。
そんなことで嘆く必要は無い。そんなことで悩む必要は無い。
貴方の感動が、貴方の個性だ。
何かに感動した貴方が貴方自身であり、その感動の心が、貴方の個性だ。
貴方の愛する心が、貴方の個性だ。
何者かを愛した貴方が貴方自身であり、その愛する心が、貴方の個性だ。
貴方だけの、貴方だけの唯一無二の愛がある。
この世で唯ひとつの、貴方だけが実現できる尊い愛がある。
それは貴方の真実だ。貴方の個性の真実だ。
何かに心から感動したとき、貴方は自身の個性を知る。
何者かを心から愛したとき、貴方の個性の真実が姿を現わす。
貴方が真に愛したとき、貴方の個性は解き放たれる・・・・・
■南無華厳 狼山道院■
その人の個性を知ろうとすることこそ重大だと思っている。
それは容易ではないが、だがその努力は必要だ。
家庭でも学校でも職場でも・・・・
それを知ること無しには成り立たない。
それを知ろうとせずに進めようとしても、何も生まれない。
本気で個性を知ろうとすれば、だんだん分かってくる。
本気が洞察を生み、理解を生む。
その人が何故そのような行動をとるのか、
その人が何故そのような判断をするのか、
だんだんに分かってくる。
それが分かれば、導きの方法が明らかになる。
その人を導く独特の方法が見えてくる。
だが個性を知る努力を怠れば、その人を殺すことになる。
家庭で、学校で、職場で・・・・
十把ひとからげの定石指導で、その人を殺すことになる。
たとえば、何故その人がその作業に時間がかかるのか??
「時間がかかりすぎだ!! もっと早く!!」と怒鳴る前に、
その人の言い分を聞いた方がいい。
そこには、その人独特の深い理由が隠されているかも知れないのだ。
一途に真摯に、丁寧な仕事をしたかったかも知れないのだ。
誰よりも真面目に、その仕事に取り組んでいたかも知れないのだ。
それが分かれば、具体的な「作業の程度」を教えてあげればいい・・・・
もしかしてその作業よりも別の作業の方に、その人は能力を発揮するかも知れない・・・・
程度とか加減とか按配とか、その辺の微妙な感覚は人によって違うし、判断が異なる。
その時その場合に何を優先すべきかという判断も、人によって異なる。
その人が「よかれ・・」と思って行動しても、裏目に出ることもある。
悪気でもなく怠慢でもなく、よかれ・・と思ってやったかも知れないのだ。
ただ叱るのではなく、まず理由を聞くことが必要だと思うのだ。
詰問するのではなく、自然体の会話の中で・・・・
なんだか細かい話になったかも知れないが、
例えば実際の職場の中では、案外このような事柄も疎かになっているような気がするのだ。
個性を尊重することと甘やかすということは、全く別次元の問題だ。
個性を尊重するということと放任とは、全く別次元の問題だ。
過保護に甘やかすことや全くの放任は、逆にその個性を殺すことになりかねない。
その個性がまだ独り立ちしていない場合には、
その個性に合ったやり方で、時には律し、時には叱咤し、時には見守り、
厳しくも愛に満ちた親心で導いてあげることが必要だと思う。
しかしそれに於いても、その人のその個性を見抜かなければならない。
それはかなり難しいことだが、
だからこそ導きの者は、洞察力を研ぎ澄まさなければならない。
その洞察力を磨く努力が、軽視されているように思えてならない・・・・
※動物たちと接するときも、まったく同様だ。
100頭いれば、そこには100の個性がある。
そこには100の事情があり、100の理由がある。
それぞれに、隠された秘密の個性が潜んでいるのだ。
「自分には個性が無い・・」と嘆く人がいる。
「自分の個性が分からない・・」と悩む人がいる。
そんなことで嘆く必要は無い。そんなことで悩む必要は無い。
貴方の感動が、貴方の個性だ。
何かに感動した貴方が貴方自身であり、その感動の心が、貴方の個性だ。
貴方の愛する心が、貴方の個性だ。
何者かを愛した貴方が貴方自身であり、その愛する心が、貴方の個性だ。
貴方だけの、貴方だけの唯一無二の愛がある。
この世で唯ひとつの、貴方だけが実現できる尊い愛がある。
それは貴方の真実だ。貴方の個性の真実だ。
何かに心から感動したとき、貴方は自身の個性を知る。
何者かを心から愛したとき、貴方の個性の真実が姿を現わす。
貴方が真に愛したとき、貴方の個性は解き放たれる・・・・・
■南無華厳 狼山道院■