<2009年10月13日>

犬たちの世話を終え、山から降りて記事を書いている。

今日もまた、不毛な喧嘩会話のコメントで、我がブログが埋め尽くされている。

「林則徐・_・A12」の三人は、今日も77さんの言葉尻を捕らえて荒らしまくる。


喧嘩の皆さんは、その喧嘩会話を楽しんでいるのだろうか??

最近、そのようにも思えてきた。

最初から、延々と終わらない喧嘩になることが分かっていながら、

それを承知の上で、こうして私のブログを不毛な言葉で埋め尽くす・・・・

これは対話でも会話でもない。ただの罵倒応酬だ。


しかし、当面は削除したりはしない。

「人間の会話」として、皆さんに見て戴くためだ。

これも人間の会話だと、それを見て戴くためだ。

私は動物たちと対話してきたが、それはどこまでも対話だった。

だから私は、人間同士の会話に、時として絶望する。


人間同士、互いに分かり得ない心境もある。

しかし分からないからといって、相手を攻撃する道理は無い。

もしそれをすれば、際限の無い罵倒応酬になることが、火を見るよりも明らかだ。

それとも人間は、そういう不毛な会話でさえも好む趣向を持っているのだろうか??

そういう「戦いの会話」を好む傾向があるのだろうか??

人間は随分と「戦い」が好きなようだが・・・・・


※「_」は、どこかで愛護活動らしきことをやっていたようだ。

おそらく、彼の愛護思想を基準にした場合に、

私の愛護観がとんでもなく異端で、許し難いのだと思う。

彼の概念から懸け離れた部分を、どうしても認め難いのだと思う。

そしてその心境が、「排斥思想」に発展したのだと思う。

彼の現実を知れば、その背景を知れば、私も返答のしようがある。

彼が何故あのような言葉を投げかけてくるのかが、深く理解できるだろう。

だが彼は仮面のままであり、プロフィールは全く白紙状態なのだ・・・・

しかしそれにしても「_」は、その関心を私に集中する。

動物たちの躍動、動物たちの純心には目もくれず、

肝心なそれらの光景には目もくれずに、私への罵倒だけに執念を燃やす。

あたかも強迫観念に囚われたように執拗に続けているが、

いったい何がその尋常ならざる心模様を生み出しているのか、不可思議だ。

彼はどこかのレスキューらしき活動に参加していたようだが、

彼の心の状態で動物を救護することなど不可能だ。

動物を救うには、まず動物の実像を知らねばならない。

そして動物の心の実像を知るには、雑念を払って純粋境に近づかねばならない。

彼のネット行為・ネット言動を見る限りでは、

到底そのような境地では無いことが明白だ。


私だけを罵倒するならば、まだ忍べる。

しかし彼の言葉の背景には、我が家族の犬たちも含まれている。

彼のこれまでの言動の文脈を見れば、それがありありと分かる。

彼は犬たちのことなど、眼中に無い。

眼中に無いから、あのようなコメントに終始する。

彼の攻撃対象は、我々家族すべてに対してなのだ。

彼は私のみならず犬たちも含めて、

つまり「我々家族」をボイコットしようとしているのだ。

彼は好き放題に我々を愚弄してきた。

彼は好き放題に我々を誹謗し、ボイコットの意志を顕わにしてきた。

彼は現代の日本の「妬みの構造・虐めの構造」の象徴者だ。

彼は日本に渦巻く陰湿な卑怯を象徴している。

■南無華厳 狼山道院■