<2009年10月9日>

山にいると、世間がかなり損得勘定に染まっていることを忘れてしまう。

だが仕事で職場にいくと、それを実感せざるを得ない。

それをあまり感じさせない明るい職場もあるが、

それが色濃く漂う職場もある。

もちろん企業とは営利追求の場であるだろうが、

それとは少し違ったニュアンスの損得勘定意識を感じることも多い。


できるだけ安く人を使ってやろう・・とか。

あの人は能力が低いのに給料が自分と一緒だから許せない・・とか。

あいつは一体いくら貰っているんだろう・・気になってしょうがない・・とか。

しばらくそこで働けば、そのような勘定意識がありありと伝わってくる。

人の給料が何故そんなに気になるのか・・・

人が多く貰っているからといって、なんで怒るのか・・・

利益を出していながら、なんで人をとことん安く使いたがるのか・・・

なんでいつもいつも損得勘定の感情に縛られているのか・・・

そんなに「損」が嫌なのか・・・

そんなに自分が損することが怖いのか・・・

この世は損得勘定で成り立っているというのか・・・・

たとえば少し能力の低い人がいたとして、

みんなで頑張って業績を上げて、

その人をみんなでサポートしてあげるという発想は湧かないのか・・・

その人は自分なりに、自分のすべてで頑張るだろうに・・・・


昔、人権派を気取るオーナーの元で働いたとき、

その人の勘定感覚に怒りを覚えた。

自分のことではない。

外人を使ったとき、とことん安く使おうとしたからだ。

その外人たちは、一生懸命働いていた。

真摯に仕事と向き合っていた。

私がブロークンの怪しい英語で仕事を説明すれば、ジッと聞き入ってくれた。

日本人に何ら引けを取らない仕事をした。

明るく楽しく一丸となって仕事した。

だがそのオーナーは、外人だから安く使わなきゃ損だと信じていた。

その発想は一体どこから来るのか、それが理解できなかった・・・・

私は最後、その人に抗議文を差し出して辞めた。

口で言えば簡単だったが、そうすると自分の猛獣性が出てしまうので、書面にした。


私はいつも安く使われる。

いつも日雇いの賃金体制で使ってもらうので、足元を見られるのだ。

つまり立場上、安く買い叩かれるのだ。

それでも、職を選んではいられないので低賃金でも頑張る。

だが、人の給料など気になったことは一度も無い。

私は働けて犬たちを養って目的に進めればそれでいいのだ。

だが、他の誰かが不当な待遇で使われているのを見ると、切なくなる。

世渡りの上手い、ずる賢い卑怯者が大手を振っている職場など、ぶち壊したくなる。

そういう所は、オーナーも従業員も揃ってそのような空気に染まってしまっているのだ。

そんなところは、真摯な純情者など逆に排斥されてしまうのだ。

彼らは虎視眈々と互いの揚げ足を取ることばかりを考えているのだ・・・・

識者たちは「庶民」とかの言葉で民衆を美化するが、

世の中、損得勘定意識は、民衆の隅々にまで行き渡っている。

世間は官僚や政治家ばかりを糾弾するが、

それに限ったことではなく国全体に同様の傾向なのだ。



昔、まだ青年の頃、

人に頼まれて外人パブの店長を引き受けた。

そこは客筋が悪かったので過酷な任務が待っていた。

ようするに、ガラの悪い客が酒で酔っ払い、尚更にタチが悪くなるのだ。

酒に酔えば、無理やり女の子を連れ出そうとする。

私は、女の子たちに聞いた。

「デートに行きたいのか??」と。

女の子たちは真顔で、「行きたくない・・」と言った。

私はだから、客の申し出をことごとく断わった。

客がおとなしく引き下がるわけがない。

そして彼らは凶暴性を発揮する。

その緊急時に警察など、何の頼りにもならない。

ボーイも足を震わせている。

第一、これは自分の判断で起きたことなのだ。

応援など頼むつもりは最初から無かった。

つまり、「表に出ろ・・」という展開になる。

幸い、どうにか乗り越えてきた。

危うい場面はいくらでもあった。

凶器を出されたこともあった。数人が相手の時もあった。

武道が実践となったが、それだけで凌げたわけではない。

それまでの人生で力を試されてきたので、その修羅場を乗り越えることができた。

女の子たちは、男よりもよっぽど根性があった。

私の後ろでハイヒールを片手に加勢しようとしてくれる子も多かった・・・・


彼女たちのギャラは随分と安かった。

外人だから、安く使って当たり前!!という風潮が世間の常識だった。

彼女たちはできるだけ本国の家族に仕送りしようと、食費も切り詰めていた。

こんな食事で大丈夫か??というくらい質素なものだった。

だが彼女たちは、はっきりと、デートは嫌だ・・と言った。

その言葉が本心と知り、だから私は彼女たちを守る決意をした。

そして私はいつも自分のギャラの半分を、彼女たちに支援した。

彼女たちは最初、不思議な顔をした。

だがやがて、私の真意を知ってくれた。

断わるまでも無いが、私に下心など一片も無かった。

私に下心の魂胆が無かったから、彼女たちは私の身を心配してくれたのだ。

まだ客の来ない早い時間、彼女たちはみんな聖書を読んでいた。

私はその姿に、心打たれた。

いろんな話をして、互いに新たな認識を学んだ。

チームワークで一丸となった。一緒に店を盛り上げた。

われわれは、ひとつの家族だったのだ。

その当時世間の人は誰もが、外人ホステスを見下していた。

金のためにいくらでも身体を開くと思い込んでいた。

安い金で好きなだけ抱けると思い込んでいた。

世間はつまり、彼女たちを徹底的に安く使い、

そして徹底的に安く弄んだ。

日本の女には頭が上がらないくせに、外人となると途端に威張る。

私にはその構図が耐えられなかった。

「善良な庶民??」笑わせるな。

どいつもこいつも弱者を利用することばかりを考え、己の損得勘定感覚だけを頼りに生きている。

自分は弱者だと息巻く連中が、さらなる弱者を見つけると支配下に置いて貪る。

私はその当時、そのような憤りの心境にいた・・・・


人権機関など、多分どこも書類書類・手続き手続きだ。

だが切迫した身の上の人が、そんな条件を満たせるはずがない。

そんな悠長なことを言っていられるはずがない。

人権機関は、あくまでも機関だ。

自腹を切って救おうとする職員は、ほとんどいないだろう。

( もしいたとしたら、その人は義人だが・・・)

世間は、たとえば自殺者が増えていることを憂いているポーズを見せるが、

だがもし憂いる誰かがその自殺者の窮地に遭遇したら、その人を救えただろうか??

その憂いる人たちは、損得勘定を超克して義を実行できるだろうか・・・・

■南無華厳 狼山道院■