<2009年10月9日>

三日前の夜、森は凄かった。

仕事を終え、犬たちの世話を終え、

しかし足の痛みが強烈になり、私は夜の森に倒れていた。

どうにもならないほどの激痛だった。

犬たちは、息を殺して私を見守っている・・・・


三十分もそうしていただろうか。

ラップ音が、鳴り始めた。

その音は毎晩のように聞こえるが、その夜は少し雰囲気が違った。

パン・・パン・・・パーンパーンパーン!!!

あっちにも、こっちにも、近くにも遠くにも、あそこでも、ここでも・・・・

あんまり凄いので、私は痛みを忘れて聴き入った。

前にも説明したが、辺りには人家も無ければ人もいない。

鉄砲の音でもなければ、木の折れる音でもない。

その音源は、まったく不明で不可解なのだ。

いつもと様子が違うので、犬たちも緊張を含んで沈黙している。

そのうち、今度は音楽のような音が聞こえてきた。

不思議な荘厳の音楽は、この森によく流れるが、

その夜の音楽は、いつにもまして重厚だった。

なんというか、たとえばパイプオルガンの音色を、何倍も重厚にした感じだ。

犬たちは姿勢をただし、夜の闇を見つめている。

光が、現われた。

白い光だった。

そしてそれはシルエットをともなっていた。

たとえば、観音様のような・・と言えばいいだろうか。

たとえば、マリア様のような・・と言えばいいだろうか。

つまり、そのようなシルエットだった。

光は少し透明のような、そしてわずかに動いているような、

そして眩しくはないが輝いているような、そんな感じだった。

そしてそれは、かなり大きなシルエットだった。

これまでも光を見てきたが、いつ出逢っても、特別な心境になる。

いっさいの偽り無く、ただただ敬虔な気持ちになる。

驚くべき事態なのだが、気持ちは落ち着いている。

そしていつも犬たちの様子を見る。

彼らを見れば、自分の目の錯覚でないことが分かるのだ。

その夜も犬たちは、真顔そのもので光のシルエットを見つめ続けた。

光と出逢うときは、もう祈りの言葉さえ出てこない。

地に膝を着き、ただ固く手を合わせて握り締める。

思考など忘れる。とてつもない感動が胸を貫く。

そこには、「愛」そのものが、姿となって現われていた・・・・


やがて光が消え、我に返る。

どのくらいの時間が経ったのか、まったく憶えていない。

犬たちが、私を見つめている。

足の痛みが、かなり消えている。

その夜は、またも痛みで眠れない夜になると覚悟していたのだが、眠ることができた・・・・


光が我が身体の痛みを癒すために現われてくれたなどとは、思わない。

ただ、途方も無い感動の余韻で眠れたのだと、そう思う。

われわれは、言葉で言い表わすことなどできない愛を、はっきりと感じた。

われわれの心のいちばん深いところに、それは刻まれた。

■南無華厳 狼山道院■