<2009年10月5日>
日に一度、心の波を、鎮めたほうがいい。
そうでないと、その波は、どんどん荒波となっていく。
そうでないと心は泡まみれとなって、その奥が見えなくなる。
たとえば風呂に入って眠りに着くように。
そのように、一日の終わりに、心を鎮める時間を持ったほうがいい。
たとえ10分でもいい。
10分でもいいから、それを習慣にしていく。
そうすると、だんだんと、いろんなことが変わってくる。
考えなくてもいいことは、考えずに済むようになる。
考えなければならないことだけを考えるようになる。
いわゆる、「雑念が消える」ということだ。
格段に、心がスッキリとする。
心が呪縛から解放されて、自由自在になっていく。
本来の自分、本当の自分が、はっきりと見えてくる。
そして迷いのない決断ができるようになっていく・・・・
テレビを見るのも貴重な楽しみかも知れないが、
友達とのおしゃべりも貴重な楽しみかも知れないが、
ネット交信も貴重な楽しみかも知れないが、
それだけで終わらずに、「心を鎮める時間」を持ったほうがいいと思う。
わずか10分だ。
それくらいの時間は必ず持てるはずだ・・・・
( ほんとうは、もう少しあればいいが・・・)
「動物との対話」に於いても、これが重大になってくる。
自分の心を鎮めずに、動物と対話することはできない。
ネットにへばりついて、動物のことは語れない。
ネットのやり取りが頭を支配していたら、すべてが本末転倒になってしまう。
まず何にも優先して重大なことは、日常の実践なのだ。
対話は、次々と新たな世界に突入していく。
毎日毎日、新たな領域が待ち受けているのだ。
その毎日の積み重ねなのだ。
だから一日たりとも、おろそかにできないのだ。
たとえば犬たちも、毎日毎日、どんどん変わっていく。
彼らは毎日、成長しているのだ。
だが己の心を鎮めずに対すれば、彼らの変化も深化も感知できずに終わる。
※動物は、その人の心理状態を見抜く。
その人が「心ここに在らず」の心境なら、それを鋭く見抜く。
■南無華厳 狼山道院■
日に一度、心の波を、鎮めたほうがいい。
そうでないと、その波は、どんどん荒波となっていく。
そうでないと心は泡まみれとなって、その奥が見えなくなる。
たとえば風呂に入って眠りに着くように。
そのように、一日の終わりに、心を鎮める時間を持ったほうがいい。
たとえ10分でもいい。
10分でもいいから、それを習慣にしていく。
そうすると、だんだんと、いろんなことが変わってくる。
考えなくてもいいことは、考えずに済むようになる。
考えなければならないことだけを考えるようになる。
いわゆる、「雑念が消える」ということだ。
格段に、心がスッキリとする。
心が呪縛から解放されて、自由自在になっていく。
本来の自分、本当の自分が、はっきりと見えてくる。
そして迷いのない決断ができるようになっていく・・・・
テレビを見るのも貴重な楽しみかも知れないが、
友達とのおしゃべりも貴重な楽しみかも知れないが、
ネット交信も貴重な楽しみかも知れないが、
それだけで終わらずに、「心を鎮める時間」を持ったほうがいいと思う。
わずか10分だ。
それくらいの時間は必ず持てるはずだ・・・・
( ほんとうは、もう少しあればいいが・・・)
「動物との対話」に於いても、これが重大になってくる。
自分の心を鎮めずに、動物と対話することはできない。
ネットにへばりついて、動物のことは語れない。
ネットのやり取りが頭を支配していたら、すべてが本末転倒になってしまう。
まず何にも優先して重大なことは、日常の実践なのだ。
対話は、次々と新たな世界に突入していく。
毎日毎日、新たな領域が待ち受けているのだ。
その毎日の積み重ねなのだ。
だから一日たりとも、おろそかにできないのだ。
たとえば犬たちも、毎日毎日、どんどん変わっていく。
彼らは毎日、成長しているのだ。
だが己の心を鎮めずに対すれば、彼らの変化も深化も感知できずに終わる。
※動物は、その人の心理状態を見抜く。
その人が「心ここに在らず」の心境なら、それを鋭く見抜く。
■南無華厳 狼山道院■