<2009年10月3日>
引き続き音楽の話になる。
1973年度の映画で、
「ジーザスクライスト・スーパースター」というロック・オペラがあった。
その中で「ゲッセマネ」のシーンがある。
そこでジーザスが絶唱する。
そのシーンが、どうにも忘れられない。
ジーザスの途轍もない懊悩、心の叫びが、「魂のロック」となって歌われるのだ。
ジーザス役は、「テッド・ニーリー」だ。
彼の歌が、凄い!!
後半、とんでもない高音域で激しくシャウトされ、
人々の理解を超えたジーザスの孤独な苦悩が見事に表現される。
しかしニーリーの歌はどんどん深化していったらしく、
後年のライブでは、さらにさらに壮絶な歌唱となっていった。
海外では「人間離れした歌手」が多く存在するが、
それにしてもニーリーのライブでの歌は凄い!!
もちろん観客も声を失うほどに驚嘆していたようだ。
おそらく心の中で、
「Amazing!! Godbless!! Great!!」と叫んでいただろう。
<1998年と2006年のライブは、youtubeで観れる。>
ニーリー以外の歌手では「スティーブ・バルサモ」のゲッセマネも凄い。
ニーリーはもう六十台半ばの年齢のようだが、バルサモはまだ若い。
<バルサモの2004年のオランダでのライブも、youtubeで観れる。>
私はクリスチャンではないが、
彼らのジーザスに対する「想い」は、分かるような気がする。
誰だって、他者の救済のために自分が犠牲になるなど避けたいだろう。
いざとなったら、誰だって自分の命が惜しくなるだろう。
だがジーザスは、自分が他者のために途方もない苦しみを背負うことを引き受けた。
自分の命を引き換えにする道を選んだ。
その行為が、人々の胸を打たぬはずがない。
その愛が、人々の心に届かぬはずがない。
ジーザスを知った人は、ジーザスを途轍もなく好きになるだろう。
すべての理屈を超えて、「どうにもならないほどに好き・・」となるだろう。
ニーリーやバルサモの絶唱を聴いていると、そのように感じる・・・・
ジーザスに関する本は随分たくさん読んだが、
ジーザスの教えについての発言は控えることにする。
ジーザスの教えを解釈してきたのは人間だから、
だからさまざまな解釈が存在するはずだからだ。
ただ、ときおり不思議な感じを受けることがある。
「ジーザスは東方へ修行に行った可能性がある」という説を読んだが、
ジーザスの中に広い意味での仏教的世界観を感じることがあるのだ。
※実際ジーザスは断食行や瞑目行を実践したらしい。ベジタリアンだったという説もある。
※当時に於いて仏教は、かなりの西域まで伝えられたらしく、仏教僧団もあったらしい。
■南無華厳 狼山道院■
引き続き音楽の話になる。
1973年度の映画で、
「ジーザスクライスト・スーパースター」というロック・オペラがあった。
その中で「ゲッセマネ」のシーンがある。
そこでジーザスが絶唱する。
そのシーンが、どうにも忘れられない。
ジーザスの途轍もない懊悩、心の叫びが、「魂のロック」となって歌われるのだ。
ジーザス役は、「テッド・ニーリー」だ。
彼の歌が、凄い!!
後半、とんでもない高音域で激しくシャウトされ、
人々の理解を超えたジーザスの孤独な苦悩が見事に表現される。
しかしニーリーの歌はどんどん深化していったらしく、
後年のライブでは、さらにさらに壮絶な歌唱となっていった。
海外では「人間離れした歌手」が多く存在するが、
それにしてもニーリーのライブでの歌は凄い!!
もちろん観客も声を失うほどに驚嘆していたようだ。
おそらく心の中で、
「Amazing!! Godbless!! Great!!」と叫んでいただろう。
<1998年と2006年のライブは、youtubeで観れる。>
ニーリー以外の歌手では「スティーブ・バルサモ」のゲッセマネも凄い。
ニーリーはもう六十台半ばの年齢のようだが、バルサモはまだ若い。
<バルサモの2004年のオランダでのライブも、youtubeで観れる。>
私はクリスチャンではないが、
彼らのジーザスに対する「想い」は、分かるような気がする。
誰だって、他者の救済のために自分が犠牲になるなど避けたいだろう。
いざとなったら、誰だって自分の命が惜しくなるだろう。
だがジーザスは、自分が他者のために途方もない苦しみを背負うことを引き受けた。
自分の命を引き換えにする道を選んだ。
その行為が、人々の胸を打たぬはずがない。
その愛が、人々の心に届かぬはずがない。
ジーザスを知った人は、ジーザスを途轍もなく好きになるだろう。
すべての理屈を超えて、「どうにもならないほどに好き・・」となるだろう。
ニーリーやバルサモの絶唱を聴いていると、そのように感じる・・・・
ジーザスに関する本は随分たくさん読んだが、
ジーザスの教えについての発言は控えることにする。
ジーザスの教えを解釈してきたのは人間だから、
だからさまざまな解釈が存在するはずだからだ。
ただ、ときおり不思議な感じを受けることがある。
「ジーザスは東方へ修行に行った可能性がある」という説を読んだが、
ジーザスの中に広い意味での仏教的世界観を感じることがあるのだ。
※実際ジーザスは断食行や瞑目行を実践したらしい。ベジタリアンだったという説もある。
※当時に於いて仏教は、かなりの西域まで伝えられたらしく、仏教僧団もあったらしい。
■南無華厳 狼山道院■