<2009年9月17日>
二十数年前、俺は狼と北極犬と暮らしていた。
狼は、肉食獣だ。
そして北極エスキモー犬も、肉食獣だ。
俺は彼らを、生肉で育てた。
彼らは大食漢だった。
犬のように規則正しく食事を要求しないが、食べる時は大量に食べた。
エスキモー犬も極大型だったが、狼はさらに大きかった。
体格の成長と、そして身体内部の充実のために、狼は沢山食べた。
真正肉食獣の食事として、「生肉・骨類・内臓類」などをセットにして与えた。
一度に5kgの食事を平らげる日もあった。
なにしろ、瞬く間に平らげてしまうのだった。
( 平均3~4kgの量を与えた。まったく食べない日もあった。)
食事と運動と生活環境配慮によって、狼は本来の大きさまで無事に育ってくれた。
彼に潜在するパワーが桁違いだったから、彼との運動の日課は過酷だったが、
せめてもの躍動を味合わせてあげたい一心で、毎日毎日数時間を山深くに遠征した。
彼は異次元の運動能力と、途方もない超感覚の持ち主だった。
彼のスピリットに、俺は別世界を見た。
狼を知ることで、俺は野性世界を垣間見ることができた。
野性たちが途轍もなく厳しい世界に棲んでいることを肌で感じた。
そして狼が狩る相手、草食獣たちの渾身の生涯も、心に垣間見た。
その当時は、俺は非肉食者ではなかった。
狼の食事内容に関して、心の中での葛藤も薄かった。
だがその後、十年以上の後、俺自身は肉を絶った。
肉を絶つ数年前から、動物たちの苦しみの光景が、夢に現れるようになった。
それは、人間によって食われる動物たちの叫びの姿だった。
いろんな動物が現れた。鳥も現れた。
毎晩のように夢を見た。強烈な光景だった。
その夢は瞼に焼き付き、今もなお、ありありと憶えている。
俺の心は、どうにもならないほど、葛藤に苦しんだ。
毎日毎日、食う者と食われる者の織り成す世界を考え続けた。
まるで迷宮に彷徨いこんだように、苦しい毎日だった。
俺は人間だから、肉を食わずとも生きていける。
肉の他に、食べるものはいくらでもある。
肉を使わなくとも、豊かな食事が充分に可能だった。
そして俺は、非肉食者になった。
それで何の不満も起こらなかった。何のストレスも湧かなかった。
俺は、真正肉食獣の肉体の要求を知っている。
彼らの肉体の構造と、そして成長の実像を知っている。
そして俺は、草食動物の肉体も知っている。
若い頃に、馬たちや羊の世話をしていた時期があったからだ。
草食獣の肉体は、肉を要求しない。
当たり前だが、草食獣は肉では育たない。
植物質だけで、立派に見事な肉体に育つ。
ゴリラを見れば分かる。バッファローを見れば分かる。
彼らは完全植物食で、あれほどの強靭な肉体を誇る。
つまり、そのような肉体構造なのだ。
そして俺は人間として、多少なりとも人間の肉体を知っている。
人間は、果たして肉食動物か?? 植物食動物か??
「雑食だ」と答える人が多いと思うが、
実のところ、雑食動物など、多くは存在しない。
それとて、「植物食材が手に入らない時には、その時には肉も受け付けますよ・・」
という肉体構造のケースが多いのだ。
たとえば、北極熊を除けば、ほとんどの熊がそうだ。
黒熊など、歯の形状を見れば明らかに肉食獣と異なるし、
よほどの場合で無い限り、植物食生活を送っている。
熊でさえ植物食なのだ。
人間の肉体が肉を不可欠としているとは到底思えない。
人間の「歯」を見れば、一目瞭然だ・・・・
※禅寺の禅食は、ヴィーガンどころではない。
食材種類もごく僅かで、しかも量が決定的に少ない。
それでも禅僧たちは厳しい環境を生きてきたのだ。
それどころか「五穀を絶つ」苦行を実践した修行僧もいたという。
俺は、狼と生きたあの頃を想い、いつも祈りを捧げている。
狼を育ててくれた命たちに対して、心の底から、感謝している。
彼らの魂への祈りを、忘れたことは一度も無い。
俺にとっての非肉食は、つまり祈りだ・・・・・
■南無華厳 狼山道院■
二十数年前、俺は狼と北極犬と暮らしていた。
狼は、肉食獣だ。
そして北極エスキモー犬も、肉食獣だ。
俺は彼らを、生肉で育てた。
彼らは大食漢だった。
犬のように規則正しく食事を要求しないが、食べる時は大量に食べた。
エスキモー犬も極大型だったが、狼はさらに大きかった。
体格の成長と、そして身体内部の充実のために、狼は沢山食べた。
真正肉食獣の食事として、「生肉・骨類・内臓類」などをセットにして与えた。
一度に5kgの食事を平らげる日もあった。
なにしろ、瞬く間に平らげてしまうのだった。
( 平均3~4kgの量を与えた。まったく食べない日もあった。)
食事と運動と生活環境配慮によって、狼は本来の大きさまで無事に育ってくれた。
彼に潜在するパワーが桁違いだったから、彼との運動の日課は過酷だったが、
せめてもの躍動を味合わせてあげたい一心で、毎日毎日数時間を山深くに遠征した。
彼は異次元の運動能力と、途方もない超感覚の持ち主だった。
彼のスピリットに、俺は別世界を見た。
狼を知ることで、俺は野性世界を垣間見ることができた。
野性たちが途轍もなく厳しい世界に棲んでいることを肌で感じた。
そして狼が狩る相手、草食獣たちの渾身の生涯も、心に垣間見た。
その当時は、俺は非肉食者ではなかった。
狼の食事内容に関して、心の中での葛藤も薄かった。
だがその後、十年以上の後、俺自身は肉を絶った。
肉を絶つ数年前から、動物たちの苦しみの光景が、夢に現れるようになった。
それは、人間によって食われる動物たちの叫びの姿だった。
いろんな動物が現れた。鳥も現れた。
毎晩のように夢を見た。強烈な光景だった。
その夢は瞼に焼き付き、今もなお、ありありと憶えている。
俺の心は、どうにもならないほど、葛藤に苦しんだ。
毎日毎日、食う者と食われる者の織り成す世界を考え続けた。
まるで迷宮に彷徨いこんだように、苦しい毎日だった。
俺は人間だから、肉を食わずとも生きていける。
肉の他に、食べるものはいくらでもある。
肉を使わなくとも、豊かな食事が充分に可能だった。
そして俺は、非肉食者になった。
それで何の不満も起こらなかった。何のストレスも湧かなかった。
俺は、真正肉食獣の肉体の要求を知っている。
彼らの肉体の構造と、そして成長の実像を知っている。
そして俺は、草食動物の肉体も知っている。
若い頃に、馬たちや羊の世話をしていた時期があったからだ。
草食獣の肉体は、肉を要求しない。
当たり前だが、草食獣は肉では育たない。
植物質だけで、立派に見事な肉体に育つ。
ゴリラを見れば分かる。バッファローを見れば分かる。
彼らは完全植物食で、あれほどの強靭な肉体を誇る。
つまり、そのような肉体構造なのだ。
そして俺は人間として、多少なりとも人間の肉体を知っている。
人間は、果たして肉食動物か?? 植物食動物か??
「雑食だ」と答える人が多いと思うが、
実のところ、雑食動物など、多くは存在しない。
それとて、「植物食材が手に入らない時には、その時には肉も受け付けますよ・・」
という肉体構造のケースが多いのだ。
たとえば、北極熊を除けば、ほとんどの熊がそうだ。
黒熊など、歯の形状を見れば明らかに肉食獣と異なるし、
よほどの場合で無い限り、植物食生活を送っている。
熊でさえ植物食なのだ。
人間の肉体が肉を不可欠としているとは到底思えない。
人間の「歯」を見れば、一目瞭然だ・・・・
※禅寺の禅食は、ヴィーガンどころではない。
食材種類もごく僅かで、しかも量が決定的に少ない。
それでも禅僧たちは厳しい環境を生きてきたのだ。
それどころか「五穀を絶つ」苦行を実践した修行僧もいたという。
俺は、狼と生きたあの頃を想い、いつも祈りを捧げている。
狼を育ててくれた命たちに対して、心の底から、感謝している。
彼らの魂への祈りを、忘れたことは一度も無い。
俺にとっての非肉食は、つまり祈りだ・・・・・
■南無華厳 狼山道院■