<2009年9月17日>

今日は仕事が休みだ。

それで記事を書くことにした。

( 犬たちの世話と運動は夜明け前に済ませた。)

左足の激痛は治まらない。

こうして座っている状態が一番痛むのだが、書く。


「ブタがいた教室」という映画の存在は知っていた。

だが、観れなかった。

観れば自分がどうなるかが、分かっていたからだ。

だが、予告編の映像を観た。

想い描いていた通りの、可愛い可愛い子豚が登場していた。

そしてその実話の粗筋を読んだ。

思っていた通りの展開だ。

ある学校の教室で、生徒みんなで子豚を育て、子豚と交歓した。

子豚の無垢な笑顔が、この胸を離れない・・・・

そして最後、その子豚の行く末を、みんなで議論した。

生徒たちの議論は結着がつかず、先生の一存に委ねられた。

そして子豚は、食肉加工センターへと送られた。

別れのとき、子豚は泣き叫んだという・・・・


「どうする??」

「食べる??食べない??」

子供たちに、もともと最初から、その問いかけを、するつもりだったのだろうか??

あまりに深く難しい問題を、子供たちに突きつけた・・・

おそらく、子供たちの誰だって、食べる発想など持ってはいなかっただろう。

子豚は、友だちだったのだ・・・・

だが、子供たちは決断を迫られた。

だがここで、本当に決断を迫る必要があったのだろうか??

人間誰しも、答えに窮するときがある。

深い葛藤のさなかで、答えたくはないときも、ある。

答える時機というものもある。

答えることだけが真実ではないと思うのだ・・・

もし「食べたい??食べたくない??」と聞かれれば、

おそらくみんなが、「食べたくない!!」と答えただろう・・・・


私には、その子豚の胸中が、ありありと伝わってくる。

子豚の痛切な心の叫びが、この胸を突き刺す。

子供たちのみんなを、信じたのだ。

信じたからこそ、心を開いて一緒に遊んだのだ。

信じたからこそ、一緒に散歩に行ったのだ。

信じなければ、そんな行為はあり得ない。

信じなければ、警戒心を解かずに、隅で固まっていた。

信じなければ、あんな笑顔は見せないのだ・・・・


センターに送られるとき、子豚は泣き叫んだという。

子豚の、悲しみと、哀願だ・・・・

動物たちの感知能力は、人間の想像を超えている。

おぼろげながら、子豚は自らの運命を悟っただろう。

センターへの道中、子豚は何を想っただろうか・・・

そして死の間際、子豚は何を想っただろうか・・・

人間との交流、楽しかった日々。

子豚は、子供たちを、愛した。

子豚は、自らの本能を抑制し、共生を努力した。

子豚は人間を信じ、精一杯、仁義を貫いた。

そしてその果てに、死地へと向かった。

孤独のなかで・・・・

途方もない孤独のなかで、この世に別れを告げた・・・・


「食べる・食べない」の論議も重要かも知れないが、

だがそれ以上に、それよりはるかに重大な「・気づき・」が存在する。

異種の命と、心で交流する。

異種の命の、心の実像を知る。

それだけでも尊い「気づき」が生まれるのだ。

それによって子供たちの心境にどのような変化が湧き起こるのか・・・

それによって子供たちの心はどのように成長するのか・・・

「食べる・食べない」は、その後に自らで考えていくだろう。

やがて子供たちは自らに、その問題と向き合っていくだろう・・・・

■南無華厳 狼山道院■