<2009年9月12日>
ハンドルネーム「たんぽぽ」さま。ご無沙汰です。
事情があって2ヶ月間、更新できませんでした。
今日、たんぽぽさんのコメントを見ました。
「たんぽぽ思想」が炸裂していましたね。
これまでの貴方の意見を要約すると、
「人間には、動物を支配する権利がある」
「人間が動物を支配し、彼らの境遇を操るのだ」
「人間が動物を利用することこそが本来の姿である」
「動物の尊厳など認める必要は微塵も無い」
「動物に心を認めるような風潮は、人権軽視を生む」
「やむなく動物を殺すにあたっても、その殺し方に配慮する必要など微塵も無い」
「殺し方に配慮して安楽死を施すことは、生命の軽視に直結する」
「安らかに殺すことが、ひいては殺しが容認される社会を招く」
「動物の殺処分に安楽死概念を持ち込めば、それは人間に於ける淘汰思想に発展する」
「動物へのスタンスは、昔のままが一番いい」
「昔のままに動物を扱えばいいのであって、尊厳の提唱など反社会的行為である」
つまり貴方は頑として、これまでのままで良いと言い切っています。
そうすると、つまり捨て犬捨て猫問題も、一向に解決しないということです。
ペット飼育放棄や虐待は、つまりは動物に尊厳を微塵も認めていないから生まれる行為です。
貴方は結局、「そんなことはどうでもいい!!」という心境なのです。
屠畜方法にも、貴方は一切無関心です。
無関心だから、「殺す・殺さない」の観点だけで発言します。
家畜たちは、この先もずっと延々と、殺されていくでしょう。
私はいつも、「殺されるのならば、せめて安らかに・・」と語りました。
殺しが避けられないのならば、「それならば、せめて・・・」と語りました。
「それならばせめて、安息の飼育環境を与えて欲しい・・」
「それならばせめて、恐怖と苦痛の無い殺処分にして欲しい・・」
しかし貴方は、奇奇怪怪な理屈で、それすらも否定する。
「どうせ殺すんだ。殺し方なんかどうでもいいだろうが!!」と貴方は言う・・・
貴方がもし、絶体絶命となって死を避けられない状況に陥ったとしたら、
絶対にそこから逃れられない運命となったとしたら、
貴方は恐怖と苦しみの中で死にたいですか??
それとも、安らかに死にたいですか??
貴方はいったい、どちらを選びますか???
貴方は、生徒に屠畜場を見学させる学校が増えてきていると言う。
貴方の発想で生徒に語るとしたら、
「人間は動物を殺して生きている。それが正当で自然な姿なのだ。それを知れ・・」となります。
確かに、それが事実かも知れません。
しかし、それでは教育として片手落ちです。
もう一方の一面を教えなければ、教育として成立しません。
できることならば、もうひとつの真実も、教えて欲しいのです・・・・
「だが、動物にも、心がある。」
「動物にも、人間に劣らぬ深い感性と情緒が存在する。」
「動物は、人間を信じてくれた。 そして心を開き、忠義を貫いてくれた。」
「この世に、無用の命などありはしない。 すべての命が、途方もなく尊い。」
「そして動物は、その尊い命を捧げてくれた。」
「その命にも、かけがえの無い生涯があった・・・」
・・・「命を食べるとき、君は何を想うだろうか」・・・
貴方の思想は、二百年前のままです。
人間以外の命を徹頭徹尾「物・機械」として見たスタンスと同じです。
動物を、そして大自然を、徹底的に支配し尽くそうとした思想と同類です。
その思想によって、地球はどうなりましたか??
今の地球の有様を見れば、そのスタンスが生む結末が、火を見るよりも明らかです。
「科学」の真骨頂を引き出すのは、どこまでも「心の姿勢」です。
心の姿勢によって導かれる「発想」が、科学の本領を発揮させるのです。
科学の本領とは、真の意味での共生を実現させることです。
それに反すれば、それは科学ではなく「凶器」です。
今、人類は、賢者であるかどうかを問われています。
■南無華厳 狼山道院■
ハンドルネーム「たんぽぽ」さま。ご無沙汰です。
事情があって2ヶ月間、更新できませんでした。
今日、たんぽぽさんのコメントを見ました。
「たんぽぽ思想」が炸裂していましたね。
これまでの貴方の意見を要約すると、
「人間には、動物を支配する権利がある」
「人間が動物を支配し、彼らの境遇を操るのだ」
「人間が動物を利用することこそが本来の姿である」
「動物の尊厳など認める必要は微塵も無い」
「動物に心を認めるような風潮は、人権軽視を生む」
「やむなく動物を殺すにあたっても、その殺し方に配慮する必要など微塵も無い」
「殺し方に配慮して安楽死を施すことは、生命の軽視に直結する」
「安らかに殺すことが、ひいては殺しが容認される社会を招く」
「動物の殺処分に安楽死概念を持ち込めば、それは人間に於ける淘汰思想に発展する」
「動物へのスタンスは、昔のままが一番いい」
「昔のままに動物を扱えばいいのであって、尊厳の提唱など反社会的行為である」
つまり貴方は頑として、これまでのままで良いと言い切っています。
そうすると、つまり捨て犬捨て猫問題も、一向に解決しないということです。
ペット飼育放棄や虐待は、つまりは動物に尊厳を微塵も認めていないから生まれる行為です。
貴方は結局、「そんなことはどうでもいい!!」という心境なのです。
屠畜方法にも、貴方は一切無関心です。
無関心だから、「殺す・殺さない」の観点だけで発言します。
家畜たちは、この先もずっと延々と、殺されていくでしょう。
私はいつも、「殺されるのならば、せめて安らかに・・」と語りました。
殺しが避けられないのならば、「それならば、せめて・・・」と語りました。
「それならばせめて、安息の飼育環境を与えて欲しい・・」
「それならばせめて、恐怖と苦痛の無い殺処分にして欲しい・・」
しかし貴方は、奇奇怪怪な理屈で、それすらも否定する。
「どうせ殺すんだ。殺し方なんかどうでもいいだろうが!!」と貴方は言う・・・
貴方がもし、絶体絶命となって死を避けられない状況に陥ったとしたら、
絶対にそこから逃れられない運命となったとしたら、
貴方は恐怖と苦しみの中で死にたいですか??
それとも、安らかに死にたいですか??
貴方はいったい、どちらを選びますか???
貴方は、生徒に屠畜場を見学させる学校が増えてきていると言う。
貴方の発想で生徒に語るとしたら、
「人間は動物を殺して生きている。それが正当で自然な姿なのだ。それを知れ・・」となります。
確かに、それが事実かも知れません。
しかし、それでは教育として片手落ちです。
もう一方の一面を教えなければ、教育として成立しません。
できることならば、もうひとつの真実も、教えて欲しいのです・・・・
「だが、動物にも、心がある。」
「動物にも、人間に劣らぬ深い感性と情緒が存在する。」
「動物は、人間を信じてくれた。 そして心を開き、忠義を貫いてくれた。」
「この世に、無用の命などありはしない。 すべての命が、途方もなく尊い。」
「そして動物は、その尊い命を捧げてくれた。」
「その命にも、かけがえの無い生涯があった・・・」
・・・「命を食べるとき、君は何を想うだろうか」・・・
貴方の思想は、二百年前のままです。
人間以外の命を徹頭徹尾「物・機械」として見たスタンスと同じです。
動物を、そして大自然を、徹底的に支配し尽くそうとした思想と同類です。
その思想によって、地球はどうなりましたか??
今の地球の有様を見れば、そのスタンスが生む結末が、火を見るよりも明らかです。
「科学」の真骨頂を引き出すのは、どこまでも「心の姿勢」です。
心の姿勢によって導かれる「発想」が、科学の本領を発揮させるのです。
科学の本領とは、真の意味での共生を実現させることです。
それに反すれば、それは科学ではなく「凶器」です。
今、人類は、賢者であるかどうかを問われています。
■南無華厳 狼山道院■