<2009年6月12日>
重低音の、「ヴォーー ヴォーヴォーーー」みたいな音楽が聞こえる。
その時によって、少しリズムが違ったり音階が違ったりする。
森を包み込むような響きだ。
その音楽は、毎晩のように聞こえる。
「パン!!」みたいなラップ音も聞こえる。
非常に表現しにくい音色だ。
一定方向からではない。
あちこちの方角で、それは起こる。
もちろん鉄砲の音ではない。
木の倒れる音でもない。
とても不思議な音色なのだ。
そしてその音は、毎晩のように聞こえる。
辺りには誰もいないというのに・・・・
誰も入ってこない森なのに・・・・
それらの音が始まると、犬たちが耳を澄ませる。
立ち上がって森の奥を見つめる犬もいる。
熊が来訪する時、その少し前にラップ音が鳴ることも多い。
その時には犬の様子が違うので、すぐに熊だと分かる。
「光」の話も以前の記事に書いたが、
この森には不思議な光が現われる。
大きな光、小さな光・・・
色や形もさまざまだ。
白くて、とても大きな光も来る。
物凄く小さな光が中空に漂うこともある。
ゆっくり、ゆっくりと動いている。
この物凄く小さな光は、赤やオレンジ色のことが多かった。
森から満月を眺めていたら、その満月の直下から、
赤く大きな火の玉のような光が降りてきたこともある。
それは燃えるように降りてきた。
そして一瞬に消えた。
その光景はまさしく、不思議そのものだった。
20年近くこの森に棲んでいるが、
この森に入る時には、未だにある種の緊張感に包まれる。
里を抜けて別荘地を抜けて、いよいよ森に入る時、意識が変わる。
なにか、別世界に踏み込むような感覚なのだ。未だに・・・・
だから、適当な気持ちで入ることができない・・・・
この森では、読経の声が聞こえることがある。
声というよりも音楽の旋律に聞こえる。
遠くから流れてくる感じだが、大きなボリュームだ。
もちろん、近くに寺など無いのだが・・・・
この読経の時には、すぐ近くの樹上に小鳥の声も集まる。
読経と小鳥の歌のハーモニーだ。
不思議は、超常現象ではない。
不思議なことも、本当は通常現象なのだ。
この世では、見えない領域の方が圧倒的だと感じる。
見える部分だけを頑なに信奉すると、大事なものを見落とす。
本当の重大事は、見えない領域に隠されていると感じる。
私は、その見えない領域に潜む重大事を実感していきたい。
■南無華厳 狼山道院■
重低音の、「ヴォーー ヴォーヴォーーー」みたいな音楽が聞こえる。
その時によって、少しリズムが違ったり音階が違ったりする。
森を包み込むような響きだ。
その音楽は、毎晩のように聞こえる。
「パン!!」みたいなラップ音も聞こえる。
非常に表現しにくい音色だ。
一定方向からではない。
あちこちの方角で、それは起こる。
もちろん鉄砲の音ではない。
木の倒れる音でもない。
とても不思議な音色なのだ。
そしてその音は、毎晩のように聞こえる。
辺りには誰もいないというのに・・・・
誰も入ってこない森なのに・・・・
それらの音が始まると、犬たちが耳を澄ませる。
立ち上がって森の奥を見つめる犬もいる。
熊が来訪する時、その少し前にラップ音が鳴ることも多い。
その時には犬の様子が違うので、すぐに熊だと分かる。
「光」の話も以前の記事に書いたが、
この森には不思議な光が現われる。
大きな光、小さな光・・・
色や形もさまざまだ。
白くて、とても大きな光も来る。
物凄く小さな光が中空に漂うこともある。
ゆっくり、ゆっくりと動いている。
この物凄く小さな光は、赤やオレンジ色のことが多かった。
森から満月を眺めていたら、その満月の直下から、
赤く大きな火の玉のような光が降りてきたこともある。
それは燃えるように降りてきた。
そして一瞬に消えた。
その光景はまさしく、不思議そのものだった。
20年近くこの森に棲んでいるが、
この森に入る時には、未だにある種の緊張感に包まれる。
里を抜けて別荘地を抜けて、いよいよ森に入る時、意識が変わる。
なにか、別世界に踏み込むような感覚なのだ。未だに・・・・
だから、適当な気持ちで入ることができない・・・・
この森では、読経の声が聞こえることがある。
声というよりも音楽の旋律に聞こえる。
遠くから流れてくる感じだが、大きなボリュームだ。
もちろん、近くに寺など無いのだが・・・・
この読経の時には、すぐ近くの樹上に小鳥の声も集まる。
読経と小鳥の歌のハーモニーだ。
不思議は、超常現象ではない。
不思議なことも、本当は通常現象なのだ。
この世では、見えない領域の方が圧倒的だと感じる。
見える部分だけを頑なに信奉すると、大事なものを見落とす。
本当の重大事は、見えない領域に隠されていると感じる。
私は、その見えない領域に潜む重大事を実感していきたい。
■南無華厳 狼山道院■