<2009年6月8日>

13年前、「りんどう・すみれ・パンジー」を保護した。

3頭とも、可愛い可愛いMixdogの女の子だ。

3頭は、餓死の運命にあった。

仲間たちは既に、飢えの果てに死んでいたのだ。

酷寒の中、鎖に繋がれたままに・・・・


私はそこに、多くの犬たちが飼われていることを知っていた。

冬の終わり頃、私は少し心配になって、そこの様子を見に行った。

すると、そこに人の住んでる気配は無かった。

裏庭に廻ってみると、3頭が鎖に繋がれていた。

だが、ほかの犬たちの姿が見えなかった。

私は近所の人に様子を聞いてみた。

「あそこの家の犬のことですが・・・」と切り出すと、

「ああ、なんか死んじゃったみたいよ・・・

一時は吠えていて迷惑だったから、

誰かが保健所に連絡したみたいだけど・・・

人は住んでないみたいよ・・・」と答えが返ってきた。

周囲の誰一人、救う意志など持っていない様子だ。

誰かがエサをやりに来ている気配は全く無かった。

このままでは、この子たちも死ぬ。

一刻の猶予もない緊急事態だった。

私はその家に大きく書置きを貼り、その3頭を車に乗せた。

その日から、彼女たちは我が家族となった。


りんどうも、すみれも、パンジーも、とてもとてもいい子だった。

こんなに可愛い純情たちが、あんなに辛い思いをした。

どんなに苦しかっただろうか・・・

家族たちの死にゆく姿を見ることは、さぞかし悲しかっただろう・・・


他家の犬の運命など、気にかける方がおかしい・・・

そこらの犬の境遇など、はっきり言ってどうでもいい・・・

未だ世間の優勢意見は、このようなものだと感じる。

それどころか、

自分の飼犬を平然と飼育放棄する人も後を絶たないのだ。

飼っていれば、普通なら情が湧くだろう。

飼っていれば、普通なら裏切れないだろう。

だが、そうでない人も多い。

そういう人は、たとえ自分の飼犬の死を見ても、冷然と眺めていられるだろう。

飼犬の死に慟哭するくらいなら、もとから放棄などしないはずだ・・・・・


その後の彼女たちの物語を、手短に話すことはできません。

また改めて、別の機会に書き綴ります。

■南無華厳 狼山道院■